創業者・坪川信一
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坪川 信一(つぼかわ しんいち、1887年3月10日 - 1962年5月18日)は、教育者で福井市内の尋常小学校・高等小学校を歴任、1919年、県の社会教育主事に抜擢された。しかし、県知事と意見対立から辞職し、商業会議所書記を経て だるま屋の経営に専念する事になった。しかも、創業メンバーは全員が教員出身。いわば商売人としては「ずぶの素人」集団だった。 経営理念には「教育の商業化」、「教育の生活化」を掲げ、「コドモ百貨部」「コドモ相談部」など、子供に焦点をあてた事業を展開した。 その一環として、別館「コドモの國」(2階建て)を開設、館内には旋回すべり台、ミニゴルフ、鏡の間などの遊具・施設を設置した他、「少女歌劇部」を創設し、その常設劇場も開場した。 雑誌『商店界』は、「既成商人を圧倒する素人商売、商売即社会教育の実行者」としてその異色ぶりを紹介した。なお、劇場は福井市に公会堂がなかったため、各種団体の総会や展覧会の会場としても利用され、公共的な機能をも果たしていた。 戦後は、屋上に機関車、モノレール、飛行塔、メリーゴーラウンドなど子供たちのための遊園地を設置した。
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