児童文学研究会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 05:06 UTC 版)
川北が1972年頃創立。ただし少年文学会に対するのれん分けや袂の分かち合いでなく、移籍は川北一人のみである。通称は「児文研」や「JBK」。 すでにプロデビューしていた川北は、学生闘争でもう少年文学会に顔が出せなくなっていたが、児童文学中心のサークルを再び作るため、児童文学評論を目指す後輩、児童文学に関心があった教育学部の女子学生と三人で、児童文学研究会の設立を申請する。8号館地下の部室確保には、川北と同学年で後藤の妹である小泉るみ子が協力した。顧問は鳥越と川北。 創立当時の機関誌は『ごんべえ』『ビードロ』『飛行機雲』、新人会誌『かみひこうき』(新人紹介誌に発展的解消)。後述の各パートでも機関誌を発行したが、現存するものは少ない。 創立初期は学生闘争と別にガタイ系で「怖い」「泣かされる」サークルであり、入会前の新入生にもそれが知れていたが、1977年頃の幹事長がその方針を改めたと、79年に幹事長を務めたいとうは語っている。 同会には創立当初より研究会と(宮沢賢治研究会、赤い鳥研究会なども存在した)、自由参加の分科会が存在していたが、やがて班という名を経由して「パート」と呼ばれるようになり、以後多くのパートの改廃が発生する。かつて存在した新人パートでは鳥越の指導の下、童話会の大先輩の作品を読まされた。 1977年に大学公認。1987年より早稲田祭に参加、冊子配布や紙芝居上演を行っている。1997年より学生の会。性別比は2011年の時点で男性が約30人・女性が約50人と、昔と逆に女性が多い。 輩出者 いとうひろし(児童文学作家、挿絵画家) 上村令(編集者) 荻原規子(小説家) 北川草子(児童文学作家、詩人) 戸谷陽子(翻訳家) やよい(たかまつやよい)(漫画家、漫画原作者)
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