学生闘争による文芸活動の閉塞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 05:06 UTC 版)
「早大童話会」の記事における「学生闘争による文芸活動の閉塞」の解説
1960年代末から各大学で学生闘争が活発化、1970年の安保闘争直前には童謡研究会、次いで切手研究会も学生闘争に行き、少年文学会の主要会員もほとんどが革マル派になる。川北によると、川北在籍時に学生闘争をしていない会員はたった三人で、これが#児童文学研究会旗揚げの起因となる。 ゲバ棒を見ることも日常茶飯事で、評論の場も児童文学と関係ない日本共産党批判ばかりになり、学生闘争をせず児童文学を書く事自体が批判されるようになった時期もあった。学生闘争が沈静化した1970年代後半からは、紛争後のキャンパスの自由な雰囲気の中で、児童文学を中心とした読書会が開催されるようになる。少年文学会と書かれたヘルメットは、学生会館が取り壊される頃まで部室の金庫に眠っていた。古い会誌(「裸婦餓鬼」)は1980年頃、当時の少年文学会会員によってバインダーにまとめて保存され、2000年頃まで部室に残っていたが、学生会館取り壊しに伴い、その後は行方知れずとなっている。
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