児童文学作家として
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1949年より京都女子大学に勤務し、同教授を経て、大阪府立国際児童文学館の館長を務めた。また、同館を運営する財団法人である大阪国際児童文学館の理事長を務めた。また、伊藤整、遠藤周作とともに第1回アジア・アフリカ作家会議日本代表を務めた。多数の著書を著し、児童文化功労賞、京都府文化功労賞、龍谷賞などを受賞した。 2011年10月13日、肺炎のため京都府宇治市の病院で死去。90歳没。
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