児文研以前の川北関連派生団体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 05:06 UTC 版)
「早大童話会」の記事における「児文研以前の川北関連派生団体」の解説
少年文学会の川北はもう一人の会員と宮沢賢治研究会を作ったが、学生闘争逃れのためであり、どんな活動をしたか覚えていないという。賢治の銅像が少年文学会で保管されていたが、2009年に廃棄された。 その頃派生団体の一つに、大岡・後藤・鈴木悦夫の作った『たろう』が存在していたが、前述の政治的衝突で鈴木が脱会。大岡・後藤の雀友だった川北と、もう一人の少年文学会会員の四名で仕切りなおし、児童文学研究会『風車』となる。学生闘争に嫌気がさした少年文学会の会員たちも、こちらでの活動が中心になった。川北のデビュー作『はらがへったらじゃんけんぽん』は『風車』が初出である。 やがて東洋大学の児童文学サークル『トナカイ村』の一部会員と合併して『ある研』が発足。ネーミングは「ある研究会」からで、会誌『燃える樹』を発行。 早大外からの参加者 中島信子(児童文学作家) 大和田夏希(漫画家)
※この「児文研以前の川北関連派生団体」の解説は、「早大童話会」の解説の一部です。
「児文研以前の川北関連派生団体」を含む「早大童話会」の記事については、「早大童話会」の概要を参照ください。
- 児文研以前の川北関連派生団体のページへのリンク