湯島聖堂 湯島聖堂の概要

湯島聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/05 02:41 UTC 版)

湯島聖堂
大成殿(孔子廟)(2010年2月3日撮影)
情報
用途 孔子廟
開館開所 元禄3年(1690年)
座標 北緯35度42分2.8秒 東経139度45分59.1秒 / 北緯35.700778度 東経139.766417度 / 35.700778; 139.766417座標: 北緯35度42分2.8秒 東経139度45分59.1秒 / 北緯35.700778度 東経139.766417度 / 35.700778; 139.766417
文化財 国の史跡
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湯島天満宮(湯島天神)とともに、年間(特に受験シーズン)を通して合格祈願のために、参拝に来る受験生が訪れる。特に、合格祈願の鉛筆を買っていく受験生の姿が多く見受けられる。国の史跡に指定されている。




注釈

  1. ^ すぐに旧岸和田藩邸(現在の東京都立日比谷高等学校界隈の場所)にて開校したが、文部省設置と共に引き取られた。
  2. ^ 1871年(明治4年)以降、湯島聖堂の構内界隈に文部省、博物館(現在の東京国立博物館及び国立科学博物館の前身)、東京師範学校東京高等師範学校東京教育大学を経て現在の筑波大学)及びその附属学校(現在の筑波大学附属小学校及び筑波大学附属中学校・高等学校)、東京女子師範学校東京女子高等師範学校を経て現在のお茶の水女子大学)及びその附属学校(現在のお茶の水女子大学附属幼稚園お茶の水女子大学附属小学校お茶の水女子大学附属中学校お茶の水女子大学附属高等学校)が一時置かれていたことがある。
    後に、文部省は霞が関に、国立博物館は上野に、東京師範学校は文京区大塚を経て現在の茨城県つくば市に移転し筑波大学となった。東京師範学校の各附属学校等や、東京女子師範学校及びその附属学校(当初は湯島一丁目の聖堂構内界隈、お茶の水橋たもとにあったためお茶の水女子大学と名付けられた)はそれぞれ文京区大塚に移転し、現在も留まっている。

出典

  1. ^ 江戸名所図会 1927, pp. 180–181.
  2. ^ a b c 東京地下鉄道千代田線建設史、pp.484・751。
  3. ^ 「仮面女子」猪狩ともか、腰の骨を折る重傷か…強風で倒れた案内板が直撃”. スポーツ報知 (2018年4月12日). 2018年4月12日閲覧。
  4. ^ 車いすの「仮面女子」猪狩さん国を提訴 「看板安全対策怠った」”. 毎日新聞. 2021年5月15日閲覧。
  5. ^ 日本放送協会. “「仮面女子」メンバーの訴え退ける 看板事故で国の賠償認めず | NHK”. NHKニュース. 2022年6月27日閲覧。


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