湯島聖堂 歴史

湯島聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/05 02:41 UTC 版)

歴史

聖堂(江戸名所図会より)[1]
元昌平坂聖堂での博覧会(昇斎一景・1872年)
関東大震災で被災した湯島聖堂

1690年元禄3年)、林羅山上野忍が岡(現在の上野恩賜公園)の私邸内に建てた忍岡聖堂「先聖殿」に代わる孔子廟を造営し、将軍綱吉がこれを「大成殿」と改称して自ら額の字を執筆した。またそれに付属する建物を含めて「聖堂」と呼ぶように改めた。翌1691年(元禄4年)2月7日に神位の奉遷が行われて完成した。林家の学問所も当地に移転している。

大成院の建物は、当初朱塗りにして青緑に彩色されていたと言われているが、その後度々の火災によって焼失した上、幕府の実学重視への転換の影響を受けて再建も思うように出来ないままに荒廃していった。その後寛政異学の禁により聖堂の役目も見直され、1797年寛政9年)林家の私塾が、林家の手を離れて幕府直轄の昌平坂学問所となる。これは「昌平黌(しょうへいこう)」とも呼ばれる。「昌平」とは、孔子が生まれた村の名前で、そこからとって「孔子の諸説、儒学を教える学校」の名前とし、それがこの地の地名にもなった。これ以降、聖堂とは、湯島聖堂の中でも大成殿のみを指すようになる。また、2年後の1799年(寛政11年)には長年荒廃していた湯島聖堂の大改築が完成し、敷地面積は1万2千坪から1万6千坪余りとなり、大成殿の建物も水戸の孔子廟にならい創建時の2.5倍規模の黒塗りの建物に改められた。この大成殿は明治以降も残っていた。

ここには多くの人材が集まったが、維新政府に引き継がれた後、1871年明治4年)に後進の昌平学校は閉鎖された。教育・研究機関としての昌平坂学問所は、幕府天文方の流れを汲む開成所、種痘所の流れを汲む医学所と併せて、後の東京大学へ連なる系譜上に載せることができる。この間、学制公布以前に維新政府は小学→中学→大学の規則を公示し、そのモデルとして1870年(明治3年)、太政官布告により東京府中学がこの地を仮校舎として設置された[注釈 1]。昌平学校閉鎖後、文部省や国立博物館(現在の東京国立博物館及び国立科学博物館の前身)等と共に、東京師範学校(現在の筑波大学)や東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)が構内界隈に設置された[注釈 2]。また、敷地としての学問所の跡地は、そのほとんどが現在東京医科歯科大学湯島キャンパスとなっている。

1872年明治5年)3月10日から、大成殿で東京初の博覧会湯島聖堂博覧会」(文部省博物局主催)が開催された。これが後の東京国立博物館の始まりである。

1922年には敷地が国の史跡に指定されたが、翌1923年大正12年)の関東大震災で入徳門と水屋以外の建物が焼失し、現在の大成殿は伊東忠太設計、大林組施工により、1935年昭和10年)に鉄筋コンクリート造で再建されたものである。これは、寛政年間の旧制をもとに再建したものである。

湯島聖堂にある世界で一番高い孔子像

現在、湯島聖堂構内に飾られている世界最大の孔子像は、1975年(昭和50年)に中華民国台北ライオンズクラブから寄贈されたものである。孔子像の他、孔子の高弟たち、四賢像(顔子-顔回曾子、思子-子思孟子)が安置されている。大成殿は現在、土曜日曜、祝日のみ開放されており、見学可能である。




注釈

  1. ^ すぐに旧岸和田藩邸(現在の東京都立日比谷高等学校界隈の場所)にて開校したが、文部省設置と共に引き取られた。
  2. ^ 1871年(明治4年)以降、湯島聖堂の構内界隈に文部省、博物館(現在の東京国立博物館及び国立科学博物館の前身)、東京師範学校東京高等師範学校東京教育大学を経て現在の筑波大学)及びその附属学校(現在の筑波大学附属小学校及び筑波大学附属中学校・高等学校)、東京女子師範学校東京女子高等師範学校を経て現在のお茶の水女子大学)及びその附属学校(現在のお茶の水女子大学附属幼稚園お茶の水女子大学附属小学校お茶の水女子大学附属中学校お茶の水女子大学附属高等学校)が一時置かれていたことがある。
    後に、文部省は霞が関に、国立博物館は上野に、東京師範学校は文京区大塚を経て現在の茨城県つくば市に移転し筑波大学となった。東京師範学校の各附属学校等や、東京女子師範学校及びその附属学校(当初は湯島一丁目の聖堂構内界隈、お茶の水橋たもとにあったためお茶の水女子大学と名付けられた)はそれぞれ文京区大塚に移転し、現在も留まっている。

出典

  1. ^ 江戸名所図会 1927, pp. 180–181.
  2. ^ a b c 東京地下鉄道千代田線建設史、pp.484・751。
  3. ^ 「仮面女子」猪狩ともか、腰の骨を折る重傷か…強風で倒れた案内板が直撃”. スポーツ報知 (2018年4月12日). 2018年4月12日閲覧。
  4. ^ 車いすの「仮面女子」猪狩さん国を提訴 「看板安全対策怠った」”. 毎日新聞. 2021年5月15日閲覧。
  5. ^ 日本放送協会. “「仮面女子」メンバーの訴え退ける 看板事故で国の賠償認めず | NHK”. NHKニュース. 2022年6月27日閲覧。






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