伊能 忠敬とは?

伊能忠敬(いのうただたか 1745ー1818)

 上総現在の千葉県)の人、江戸後期地理学者測量家、日本最初近代的測量による日本全図大日本沿海実測全図」を作成
 伊能忠敬は延享 2年(1745)に上総国小関生まれ幼名神保三治郎といった。18歳のときに下総国佐原伊能家の婿養子になり伊能三郎右衛門を名乗った。伊能家の婿養子に入った忠敬は、酒造りなどの家業に精を出し家運挽回に努めた。持ち合わせ商才勤勉さから、次第家勢上向きとなり、明和3年(1766)、天明3年(1783)などに相次いで起きた飢饉に際しては、窮民を救うことに心血を注ぎ、その結果地頭から帯刀を許された。
 49歳のときに家督長男景敬に譲り隠居翌年寛政7年(1795)に江戸深川黒江町移り住んだ。翌年幕府天文方高橋至時当時33歳)に師事し、暦学数学勉学始めた。
 忠敬は黒江町自宅では、象限儀による天体観測をし、北緯354030秒を得た。これは、後に陸地測量部測定した値より、わずか23大きかっただけである。また、当時浅草にあった天文台(暦局)との緯度差から子午線 1度の距離を得たが、より正確な子午線 1度の距離を求めたいとの欲望から蝦夷測量出発したといわれる江戸出立したのは、実に55歳(寛政12年 1800)のことである。
 その後日本各地を昼は歩測や測縄と"わんからしん(小方位盤)"を利用した道線法や交会法で、夜は天文測量位置求め、これらをもとに地図化した。16年間の測量従事した日数約3,800日、測量距離約44,000km、天文観測地点は1,200箇所にも及ぶ。その結果から編集されたのが、通称伊能図」と呼ばれるもので、大図(1/36,000214面、中図(1/216,000)8面、小図(1/432,000)3面である。当初目的であった子午線1度弧長というと28里7町12間(110.749m)という値を得ており、これは現在の値に比べおおよそ0.2%の誤差という正確さであった。当時その結果を知った師の高橋至時は、測量結果には誤差存在考えられ、蘭書などの結果とも異なるとして評価しなかった。その後フランス天文学者ジェローム・ラランド天文書オランダ語訳である
ラランデ暦書」を手にした至時は、地球南北方向につぶれた扁球形であることを知り、同書の子午線1度の値と忠敬の実測値がほぼ一致していることで、忠敬の測量の正確さを認め喜び合ったという。
 伊能忠敬は、文政元年(1818)73歳でこの世を去ったが、渋川景保などの手作成続けられ1821年に「大日本沿海実測全図」として幕府上程され完成に至った。
画像
伊能図部分

伊能 忠敬 (いのう ただたか)

1745〜1818 (延享2年文政元年)
地理学者50歳から始め学問で、「大日本沿海輿地全図」の偉業達成
江戸後期地理学者上総国出身18歳のとき、伊能家の婿養子となり、1794年50歳で隠居翌年江戸へ出て、幕府天文方高橋至時師事した。1800年、至時の推挙幕府から奥州道中蝦夷地東南沿岸測量を任される。その後1816年まで日本全国測量を行った。死後完成した『大日本沿海輿地全図』は、シーボルトにより、その精密さを海外にも伝えられた。

 年(和暦)
1764年 (明和元年) 江戸大火 19才
1772年 (安永元年) 目黒行人坂火事 27
1783年 (天明3年) 浅間山噴火 38
1789年 (寛政元年) 棄捐令 44
1790年 (寛政2年) 石川島人足寄場設置 45
1791年 (寛政3年) 江戸市中銭湯男女混浴禁止 46
1797年 (寛政9年) 湯島聖堂昌平坂学問所改称 52
1803年 (享和3年) 江戸開府200年 58
1806年 (文化3年) 大火 61
1808年 (文化5年) フェートン号事件 63


 人物
中川 淳庵 1739年1786年 (元文4年天明6年) +6
長谷川 平蔵 1745年1795年 (延享2年寛政7年) 0
塙 保己一 1746年1821年 (延享3年文政4年) -1
司馬 江漢 1747年1818年 (延享4年文政元年) -2
並木 五瓶 1747年1808年 (延享4年文化5年) -2
大田 南畝 1749年1823年 (寛延2年文政6年) -4
蔦谷 重三郎 1750年1797年 (寛延3年寛政9年) -5
笠森 お仙 1751年1827年 (宝暦元年文政10年) -6
桂川 甫周 1751年1809年 (宝暦元年文化6年) -6

伊能忠敬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/09 07:22 UTC 版)

伊能 忠敬(いのう ただたか[注釈 1]延享2年2月11日1745年2月11日) - 文化15年4月13日1818年5月17日))は、江戸時代商人天文学家である。通称は三郎右衛門、勘解由(かげゆ)。字は子斉、号は東河。


注釈

  1. ^ 地元などでは親しみと尊敬の念をこめて、「いのうちゅうけい」とも呼ばれている[要出典]
  2. ^ 本段落の内容については当時の複数の文献でも多少の差異がある。詳しくは渡辺編(2003) pp.76-81を参照
  3. ^ 忠敬の分家としては、子孫に金沢工業大学土木工学科客員教授の伊能忠敏らがいる(伊能(1991))
  4. ^ 清宮家は伊能家とは直接の血縁はないものの、清宮家の初代当主は伊能三郎右衛門家2代目である景常の後妻の連れ子であり、継父の支援で清宮家を興したと伝えられ、両家はそれ以来の深い関係を有していた(千葉県(2008) p.346-347)。
  5. ^ 作者は忠敬本人という説もあるが、小島一仁はこれに反論し、息子の景敬によるものではないかと述べている。

参照元

  1. ^ 今野(2002) p.17
  2. ^ 大谷(1917) pp.2-3
  3. ^ 渡辺(1999) pp.17-18
  4. ^ a b 小島(1978) p.65
  5. ^ 大谷(1917) p.3
  6. ^ a b 渡辺(1999) p.19
  7. ^ 大谷(1917) pp.3-4
  8. ^ a b 今野(2002) p.20
  9. ^ 小島(1978) p.67
  10. ^ 今野(2002) p.27
  11. ^ a b 小島(1978) p.78
  12. ^ 小島(1978) p.72
  13. ^ 小島(1978) pp.72-75
  14. ^ 小島(1978) pp.75-76
  15. ^ 小島(1978) pp.79-81
  16. ^ 小島(1978) p.82
  17. ^ 大谷(1917) pp.14-15
  18. ^ 小島(1978) pp.82-84
  19. ^ 小島(1978) p.74
  20. ^ 渡辺編(2003) p.24
  21. ^ a b c 渡辺編(2003) p.25
  22. ^ a b 小島(1978) p.87
  23. ^ 渡辺(1999) p.25
  24. ^ 小島(1978) p.88
  25. ^ a b c d 渡辺編(2003) p.26
  26. ^ a b 小島(1978) p.89
  27. ^ 小島(1978) pp.89-90
  28. ^ a b c 小島(1978) p.91
  29. ^ 小島(1978) pp.92-93
  30. ^ 小島(1978) pp.93-94
  31. ^ 小島(1978) pp.95-96
  32. ^ 小島(1978) p.94
  33. ^ 渡辺編(2003) p.27
  34. ^ 小島(1978) p.96
  35. ^ 渡辺編(2003) p.32
  36. ^ 渡辺編(2003) p.31
  37. ^ 小島(1978) pp.98-99
  38. ^ 小島(1978) p.104
  39. ^ 小島(1978) pp.104-105
  40. ^ 小島(1978) p.106
  41. ^ 小島(1978) p.107
  42. ^ 小島(1978) pp.108-109
  43. ^ 小島(1978) p.109
  44. ^ 小島(1978) pp.110-111
  45. ^ 小島(1978) p.111
  46. ^ 小島(1978) p.112
  47. ^ a b 渡辺編(2003) p.29
  48. ^ a b 小島(1978) p.116
  49. ^ 小島(1978) pp.112-113
  50. ^ 小島(1978) p.113
  51. ^ 小島(1978) p.114
  52. ^ 小島(1978) p.115
  53. ^ a b 千葉県(2008) p.344
  54. ^ 小島(1978) pp.80,114-115
  55. ^ 星埜(2010) p.8
  56. ^ 小島(1978) p.117
  57. ^ a b 渡辺編(2003) p.297
  58. ^ a b c 小島(1978) p.121
  59. ^ 大谷(1917) p.23
  60. ^ 小島(1978) pp.118-119
  61. ^ 小島(1978) pp.119-125
  62. ^ 小島(1978) p.125
  63. ^ 小島(1978) p.126
  64. ^ a b 千葉県(2008) p.930
  65. ^ a b 小島(1978) p.127
  66. ^ 千葉県(2008) p.341-342
  67. ^ 渡辺編(2003) pp.31-33
  68. ^ 渡辺編(2003) p.33
  69. ^ 渡辺編(2003) pp.33-34
  70. ^ 千葉県(2008) p.330図表
  71. ^ 千葉県(2008) p.332図表
  72. ^ 千葉県(2008) p.335図表
  73. ^ 千葉県(2008) p.325図表
  74. ^ 千葉県(2008) p.325-336
  75. ^ 小島(1978) pp.100-101
  76. ^ 渡辺編(2003) pp.74-75
  77. ^ 小島(1978) p.128
  78. ^ 渡辺編(2003) p.41
  79. ^ a b 小島(1978) p.120
  80. ^ a b 渡辺編(2003) p.47
  81. ^ 渡辺編(2003) p.51
  82. ^ a b c 渡辺編(2003) p.54
  83. ^ 伊藤(2000) p.59
  84. ^ 渡辺編(2003) p.57
  85. ^ a b 小島(1978) p.134
  86. ^ 大谷(1917) p.38
  87. ^ 渡辺編(2003) p.58
  88. ^ 渡辺編(2003) p.61
  89. ^ 渡辺編(2003) pp.58-59
  90. ^ 間・高橋(1971) p.201
  91. ^ 今野(2002) pp.63-64
  92. ^ a b 今野(2002) p.64
  93. ^ 渡辺編(2003) pp.68-69
  94. ^ 渡辺編(2003) p.64
  95. ^ 大谷(1917) p.225
  96. ^ a b 渡辺編(2003) p.253
  97. ^ 間・高橋(1971) p.221
  98. ^ 渡辺編(2003) p.70
  99. ^ 中村(2008) p.145
  100. ^ 中村(2008) p.146
  101. ^ 渡辺編(2003) p.72
  102. ^ 渡辺編(2003) pp.75-76
  103. ^ 小島(1978) p.137
  104. ^ 渡辺編(2003) p.87
  105. ^ 渡辺編(2003) pp.87-88
  106. ^ 渡辺編(2003) p.85
  107. ^ 小島(1978) p.139
  108. ^ 小島(1978) p.141
  109. ^ a b c 渡辺編(2003) p.88
  110. ^ 小島(1978) pp.141-142
  111. ^ 小島(1978) p.142
  112. ^ 今野(2002) pp.85-86の現代語訳から引用、一部略
  113. ^ 渡辺編(2003) p.83
  114. ^ 今野(2002) p.95
  115. ^ 渡辺編(2003) pp.85-86
  116. ^ a b 渡辺編(2003) p.86
  117. ^ a b c 渡辺編(2003) p.89
  118. ^ a b 渡部(2001) p.114
  119. ^ a b 今野(2002) p.101
  120. ^ 渡部(2001) p.116
  121. ^ a b 小島(1978) p.146
  122. ^ 渡部(2001) p.119
  123. ^ 渡辺編(2003) p.90
  124. ^ 渡部(2001) pp.119-120
  125. ^ 渡部(2001) p.122
  126. ^ 渡部(2001) pp.121,123
  127. ^ 渡辺編(2003) pp.91-92
  128. ^ 渡部(2001) p.124
  129. ^ 大谷(1917) pp.71-72
  130. ^ 渡部(2001) p.125
  131. ^ 渡辺編(2003) pp.102-103
  132. ^ 渡辺編(2003) p.103
  133. ^ 今野(2002) p.104
  134. ^ 間・高橋(1971) p.216
  135. ^ 今野(2002) p.107
  136. ^ 渡辺編(2003) p.104
  137. ^ 渡辺編(2003) p.95
  138. ^ a b 渡部(2001) p.128
  139. ^ 渡辺編(2003) pp.95-96
  140. ^ a b 渡辺編(2003) p.96
  141. ^ 渡辺編(2003) p.97
  142. ^ 渡辺編(2003) p.105
  143. ^ 渡部(2001) p.129
  144. ^ 渡部(2001) p.132
  145. ^ a b c 今野(2002) p.122
  146. ^ a b c 渡部(2001) p.133
  147. ^ 渡部(2001) p.134
  148. ^ 渡部(2001) p.135
  149. ^ a b 伊能忠敬 三陸測量の軌跡”. 国土交通省東北地方整備局三陸国道事務所釜石維持出張所. 2016年9月22日閲覧。
  150. ^ a b 渡部(2001) p.139
  151. ^ 渡辺編(2003) pp.106-107
  152. ^ 渡部(2001) p.142
  153. ^ 今野(2002) p.123
  154. ^ 渡部(2001) pp.157-159
  155. ^ 渡部(2001) p.167
  156. ^ a b 渡辺編(2003) p.107
  157. ^ 渡部(2001) p.169
  158. ^ 大谷(1917) pp.86-87
  159. ^ 渡辺編(2003) p.108
  160. ^ 渡部(2001) p.172
  161. ^ 渡辺編(2003) p.113
  162. ^ 渡部(2001) p.175
  163. ^ a b 今野(2002) p.143
  164. ^ 渡部(2001) p.185
  165. ^ 渡部(2001) p.187
  166. ^ a b 渡部(2001) p.189
  167. ^ a b 今野(2002) p.145
  168. ^ 渡部(2001) pp.192-193
  169. ^ 渡部(2001) pp.194-195
  170. ^ 渡部(2001) p.198
  171. ^ 渡部(2001) pp.200-203
  172. ^ 渡部(2001) pp.206-207
  173. ^ 今野(2002) p.144
  174. ^ 渡部(2001) p.208
  175. ^ 渡部(2001) p.212
  176. ^ 今野(2002) p.146
  177. ^ 渡部(2001) pp.214-215
  178. ^ 渡部(2001) pp.216-217
  179. ^ 渡部(2001) pp.218-219
  180. ^ a b 渡辺編(2003) p.114
  181. ^ 渡部(2001) pp.221-223
  182. ^ 渡部(2001) pp.226-227
  183. ^ 小島(1978) pp.158-159
  184. ^ a b 渡辺(1997) p.71
  185. ^ 渡部(2001) pp.226-232
  186. ^ 渡部(2001) p.232
  187. ^ 渡辺(1997) pp.71-72
  188. ^ 小島(1978) p.159
  189. ^ 渡部(2001) pp.234-235
  190. ^ 渡部(2001) p.235
  191. ^ 小島(1978) p.160
  192. ^ 小島(1978) p.174
  193. ^ 小島(1978) p.156
  194. ^ 小島(1978) p.177
  195. ^ 渡部(2001) p.240
  196. ^ 渡辺(1997) p.16
  197. ^ a b 渡辺(1997) p.17
  198. ^ 渡部(2001) p.243
  199. ^ 渡辺編(2003) p.117
  200. ^ 上原(1977) p.224
  201. ^ 上原(1977) p.239
  202. ^ 渡部(2001) p.249
  203. ^ a b 渡辺編(2003) p.119
  204. ^ 渡辺編(2003) pp.118,120,121
  205. ^ 渡辺(1997) p.84
  206. ^ 今野(2002) p.167
  207. ^ 渡辺(1997) p.86
  208. ^ 渡辺(1997) p.89
  209. ^ 渡辺(1997) p.93
  210. ^ 渡部(2001) p.255
  211. ^ a b 渡部(2001) p.256
  212. ^ 渡辺(1997) pp.96-98
  213. ^ 渡辺(1997) p.105
  214. ^ a b 渡部(2001) p.258
  215. ^ 渡辺(1997) p.106
  216. ^ 渡辺(1997) pp.106-107
  217. ^ 渡辺(1997) pp.127-133
  218. ^ 渡部(2001) pp.260-262
  219. ^ 渡部(2001) p.264
  220. ^ 渡部(2001) p.265
  221. ^ a b 渡辺(1997) p.142
  222. ^ a b c 今野(2002) p.178
  223. ^ 渡部(2001) p.267
  224. ^ 渡部(2001) p.270
  225. ^ 大谷(1917) p.127
  226. ^ 渡辺(1997) p.146
  227. ^ a b c d e 渡辺(1997) p.147
  228. ^ a b 渡辺(1999) p.130
  229. ^ 渡辺(1997) p.166
  230. ^ 渡辺(1999) pp.130-131
  231. ^ 渡辺(1999) pp.131,142-144
  232. ^ 大谷(1917) pp.129-131
  233. ^ a b 渡辺(1997) p.172
  234. ^ a b c 渡辺(1999) p.146
  235. ^ 千葉県(2008) p.931
  236. ^ a b c 渡辺(1997) p.173
  237. ^ a b 渡辺(1999) p.147
  238. ^ 渡辺(1999) pp.161
  239. ^ a b c d e 渡辺(1997) p.205
  240. ^ 渡辺(1997) p.206
  241. ^ 渡辺(1997) p.215
  242. ^ 大谷(1917) p.226
  243. ^ 渡辺編(2003) p.254
  244. ^ 今野(2002) p.181
  245. ^ a b 渡辺(1999) p.168
  246. ^ a b c d 渡辺(1997) p.203
  247. ^ 渡辺(1997) p.209
  248. ^ 渡辺(1997) p.210
  249. ^ 渡辺(1997) pp.212-213
  250. ^ 小島(1978) p.187
  251. ^ 渡辺編(2003) p.184
  252. ^ 渡辺編(2003) p.190
  253. ^ 後藤・全・長野(1996) pp.375-380
  254. ^ 渡辺編(2003) pp.187,190
  255. ^ 渡辺編(2003) pp.190-191
  256. ^ 星埜(2010) p.42
  257. ^ 渡辺編(2003) p.194
  258. ^ 渡辺(1997) pp.203,220
  259. ^ a b 渡辺(1997) p.220
  260. ^ 渡辺(1997) p.221
  261. ^ 渡辺(1997) p.222
  262. ^ 小島(1978) pp.178-179
  263. ^ a b 今野(2002) p.185
  264. ^ a b c d 渡辺(1997) p.238
  265. ^ 渡辺(1997) pp.238,248
  266. ^ 今野(2002) p.186
  267. ^ 渡辺(1997) p.250
  268. ^ 渡辺(1997) p.251
  269. ^ 小島(1978) p.184
  270. ^ a b 小島(1978) p.189
  271. ^ 渡辺(1997) p.252
  272. ^ a b 渡辺(1997) pp.252-253
  273. ^ 今野(2002) p.188
  274. ^ 渡辺(1997) pp.253-254
  275. ^ 今野(2002) p.189
  276. ^ 今野(2002) pp.190-191
  277. ^ 渡辺(1997) p.254
  278. ^ a b c 今野(2002) p.191
  279. ^ 渡辺(1997) p.255
  280. ^ 渡辺(1997) p.279
  281. ^ 大谷(1917) p.182
  282. ^ 今野(2002) pp.191-192
  283. ^ a b 今野(2002) p.192
  284. ^ 大谷(1917) pp.187-188
  285. ^ 小島(1978) pp.190-191
  286. ^ 渡辺編(2003) pp.291-292
  287. ^ 渡辺編(2003) 口絵
  288. ^ 千葉県(2008) p.944-946
  289. ^ 千葉県(2008) p.868
  290. ^ a b 千葉県(2008) p.346-349
  291. ^ 保柳編(1997) p.8
  292. ^ 渡辺編(2003) p.260
  293. ^ 小島(2009) p.152
  294. ^ 渡辺編(2003) pp.264-265
  295. ^ 保柳編(1997) p.14
  296. ^ 保柳編(1997) p.26
  297. ^ 保柳編(1997) pp.22-23
  298. ^ 今野(2002) p.10
  299. ^ 今野(2002) p.215
  300. ^ 保柳編(1997) p.21
  301. ^ 保柳編(1997) p.29
  302. ^ 保柳編(1997) p.25
  303. ^ 織田(1974) pp.158-159
  304. ^ 織田(1974) p.112
  305. ^ 渡辺(1997) pp.274-275
  306. ^ 渡辺編(2003) pp.275-289
  307. ^ 星埜(2010) p.78
  308. ^ 星埜(2010) pp.40,60-61
  309. ^ a b 渡辺編(2003) p.136
  310. ^ a b c d 星埜(2010) p.44
  311. ^ a b 渡辺編(2003) pp.137-138
  312. ^ 渡辺編(2003) pp.136-137
  313. ^ 中村(2008) p.142
  314. ^ 渡辺編(2003) pp.142-143
  315. ^ 渡辺編(2003) p.137
  316. ^ a b 大谷(1917) p.255
  317. ^ 渡辺編(2003) p.152
  318. ^ 荻原(2007) pp.612-614
  319. ^ a b 渡辺編(2003) p.153
  320. ^ a b 渡辺編(2003) p.157
  321. ^ 大谷(1917) p.347
  322. ^ 渡辺編(2003) p.161
  323. ^ 渡辺編(2003) p.159
  324. ^ 渡辺編(2003) p.160
  325. ^ 渡辺編(2003) pp.161-162
  326. ^ 渡辺編(2003) pp.162-163
  327. ^ a b 渡辺編(2003) p.163
  328. ^ a b 大谷(1917) p.350
  329. ^ 井上(2000) pp.8,59
  330. ^ 斎藤(1998) pp.532-534
  331. ^ 大谷(1917) pp.286-287
  332. ^ a b c 渡辺編(2003) p.138
  333. ^ 大谷(1917) p.291
  334. ^ 大谷(1917) p.293
  335. ^ 渡辺編(2003) p.146
  336. ^ a b c 渡辺編(2003) p.141
  337. ^ 渡辺編(2003) pp.140-141
  338. ^ 大谷(1917) p.302
  339. ^ 渡辺編(2003) pp.141-142
  340. ^ 渡辺編(2003) pp.149-150
  341. ^ 大谷(1917) pp.322-323,326
  342. ^ a b 渡辺編(2003) p.150
  343. ^ 大谷(1917) p.328
  344. ^ 大谷(1917) pp.327-328
  345. ^ a b 渡辺編(2003) p.151
  346. ^ a b 大谷(1917) p.321
  347. ^ 渡辺編(2003) p.139
  348. ^ 渡辺編(2003) pp.139-140
  349. ^ 大谷(1917) p.330
  350. ^ 保柳編(1997) p.357
  351. ^ 渡辺編(2003) p.155
  352. ^ 大谷(1917) p.352
  353. ^ 大谷(1917) p.354
  354. ^ 保柳編(1997) p.357-358
  355. ^ 大谷(1917) pp.398-401
  356. ^ 大谷(1917) p.409
  357. ^ 渡辺編(2003) pp.159-161
  358. ^ a b c d 星埜(2010) p.20
  359. ^ 渡辺編(2003) p.238
  360. ^ 渡辺編(2003) pp.245-246
  361. ^ 渡辺編(2003) p.229
  362. ^ 渡辺編(2003) p.227
  363. ^ 小島(2009) p.120
  364. ^ 杉浦(2003) pp.4813-4814
  365. ^ 渡辺編(2003) pp.246-248
  366. ^ 小島(1978) pp.123-124
  367. ^ 佐久間達夫編著(1998) pp.268-269
  368. ^ 伊能忠敬宅跡江東おでかけ情報局(2018年5月3日閲覧)
  369. ^ 渡辺編(2003) p.228
  370. ^ 渡辺編(2003) p.257
  371. ^ 千葉県史編纂審議会編(1973) pp.40,117,123,288
  372. ^ 小島(1978) p.186
  373. ^ 千葉県史編纂審議会編(1973) p.176
  374. ^ 佐久間達夫編著(1998) p.267
  375. ^ 大谷(1917) pp.237-238
  376. ^ 杉浦(2003) pp.4808
  377. ^ a b 杉浦(2003) p.4809
  378. ^ 宮本義己『歴史をつくった人びとの健康法―生涯現役をつらぬく―』(中央労働災害防止協会、2002年)p.199
  379. ^ 宮本義己『歴史をつくった人びとの健康法―生涯現役をつらぬく―』(中央労働災害防止協会、2002年)p.199
  380. ^ 杉浦(2003) pp.4817
  381. ^ シーボルト事件」において、紅葉山文庫にある伊能図を写させたことが原因で、何人か罪に問われ死亡している。
  382. ^ 「伊能忠敬は国際情報通だった 機密文書が語る顔」日本経済新聞2006年2月20日夕刊24面『夕刊文化』 
  383. ^ 小島(1978) pp.10-11
  384. ^ 小島(1978) p.11
  385. ^ 保柳編(1997) p.283
  386. ^ 小島(1978) pp.15-16
  387. ^ 保柳編(1997) p.305
  388. ^ 小島(1978) pp.16-17
  389. ^ 保柳編(1997) p.270
  390. ^ 小島(1978) pp.19-20
  391. ^ 小島(1978) pp.24-25
  392. ^ a b 保柳編(1997) p.381
  393. ^ 保柳編(1997) pp.270-271
  394. ^ 保柳編(1997) p.273
  395. ^ 小島(1978) p.27
  396. ^ 保柳編(1997) p.277
  397. ^ a b 小島(1978) p.32
  398. ^ 小島(1978) pp.35-36
  399. ^ 保柳編(1997) pp.277-278
  400. ^ 保柳編(1997) p.278
  401. ^ 小島(1978) pp.33-34
  402. ^ 保柳編(1997) pp.280,387
  403. ^ a b 保柳編(1997) p.280
  404. ^ 小島(1978) pp.43-44
  405. ^ a b 小島(1978) p.44
  406. ^ 小島(1978) p.50
  407. ^ 広報かとり No.72 (PDF)”. 香取市 (2009年3月15日). 2014年4月12日閲覧。
  408. ^ 小島(1978) pp.3-4
  409. ^ a b 星埜(2010) p.80
  410. ^ 小島(1978) pp.4-5
  411. ^ 小島(1978) pp.47-48
  412. ^ 小島(1978) p.51
  413. ^ 星埜(2010) p.83
  414. ^ 保柳編(1997) p.2
  415. ^ a b 小島(1978) p.53
  416. ^ 保柳編(1997) pp.21-30
  417. ^ 小島(1978) pp.54-56
  418. ^ 井上(2000) pp.10-11,18-19
  419. ^ 鈴木(2011) p.27
  420. ^ 朝日新聞1998年1月3日14面
  421. ^ 星埜(2010) p.1
  422. ^ 伊能忠敬研究会(1998) pp.6-7
  423. ^ 伊能忠敬研究会(1998) p.9
  424. ^ a b 日本ウオーキング協会, 伊能ウオーク実行委員会(2001) p.111
  425. ^ 日本ウオーキング協会, 伊能ウオーク実行委員会(2001) p.152
  426. ^ 千葉日報1998年5月22日
  427. ^ 星埜(2010) p.84
  428. ^ 平成22年6月29日文部科学省告示第95号
  429. ^ 「新指定の文化財」『月刊文化財』561号、第一法規、2010
  430. ^ 香取市オリジナルナンバーが決定しました”. 香取市 (2012年10月3日). 2014年4月16日閲覧。
  431. ^ 渡辺(1999) p.219
  432. ^ 星埜(2010) pp.85-88
  433. ^ 江戸時代に伊能忠敬の測量に協力した子孫を探しています 協力者約1万2000人の名前をデータベース化し発表
  434. ^ 伊能忠敬に協力した人の子孫どこ? 1万人余の氏名公開
  435. ^ 伊能忠敬の協力者、名乗り出て  各地で測量記録発掘に期待
  436. ^ 「伊能忠敬」協力者の情報相次ぐ 「先祖が案内」など60件
  437. ^ 伊能忠敬の偉業VR上演『産経新聞』2018年4月18日(2018年5月3日閲覧)





伊能 忠敬と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「伊能 忠敬」の関連用語

伊能 忠敬のお隣キーワード

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   
検索ランキング



伊能 忠敬のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
三省堂三省堂
Copyright (C) 2001-2019 Sanseido Co.,Ltd. All rights reserved.
株式会社 三省堂三省堂 Web Dictionary
おもしろ地図と測量のページおもしろ地図と測量のページ
copyright (c) オフィス 地図豆 All right reserved.
江戸net江戸net
Copyright (C) 2019 財団法人まちみらい千代田 All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの伊能忠敬 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2019 Weblio RSS