だいにほんえんかいよちぜんず〔ダイニホンエンカイヨチゼンヅ〕【大日本沿海輿地全図】
大日本沿海輿地全図
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大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず、旧字体: 大日本沿󠄀海󠄀輿地全󠄁圖)は、江戸時代後期、伊能忠敬が中心となって作製した日本全土の実測地図である。「伊能図(いのうず)」や「伊能大図(いのうだいず、いのうたいず)」とも称される。完成は文政4年(1821年)。
注釈
- ^ なお、高橋景保がシーボルトに贈ったのは、文化6年(1809年)にそれまでの伊能らの測量結果をもとに従来の国絵図を参考にして景保自身が編修した特小図(日本輿地図藁)である。
- ^ シーボルトの日本図を見せられたロシア海軍軍人クルーゼンシュテルンはその精度に驚愕し、「日本人は我を征服せり(Les Japonais m'ont vaincu!)」と叫んだことがシーボルトの著書『日本』に記されている[17]。クルーゼンシュテルンはレザノフ艦隊の司令官として1804年に来日しており、その帰途に樺太を探検(間宮林蔵による探検の4年前)。その結果、樺太を島ではなく半島であると判断していた[18]。
- ^ 福岡県内の個人が2020年に北九州市のゼンリンミュージアムに寄贈したもの[26]。
出典
- ^ 「伊能忠敬記念館:伊能忠敬の生涯」[1]。
- ^ 織田(1974) p.104
- ^ 織田(1974) p.105
- ^ 渡辺(2021) p.108
- ^ “伊能忠敬とは:香取市ホームページ”. www.city.katori.lg.jp. 2021年6月29日閲覧。
- ^ Hoshino 2020, p. 236-237.
- ^ “伊能忠敬の地図 間宮林蔵が北海道全域測量か”. 日本経済新聞 (2014年8月18日). 2021年6月29日閲覧。
- ^ Hoshino 2020, p. 236.
- ^ Hoshino 2020, p. 237.
- ^ 渡辺(2021) p.42
- ^ 八島邦夫「現存する(最終本)伊能小図をめぐって:―英国伊能小図についての新知見を中心に―」『地図』第56巻第1号、日本地図学会、2018年、51-58頁、doi:10.11212/jjca.56.1_51、ISSN 0009-4897、NAID 130007663954。
- ^ 星埜由尚「伊能忠敬特集号の編集にあたって」『地学雑誌』第129巻第2号、東京地学協会、2020年、155-160頁、doi:10.5026/jgeography.129.155、ISSN 0022-135X、NAID 130007841659。
- ^ “大日本沿海実測録 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2021年6月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『国史大辞典』「伊能図」。
- ^ 織田(1974) p.107
- ^ 織田(1974) p.110
- ^ 織田(1974) p.159。
- ^ 渡辺(2010) p.249。
- ^ 『国史大辞典』、『日本史大事典 1』など。
- ^ 6.伊能忠敬「山島方位記」解析研究余話(その2)
- ^ 織田(1974) p.113
- ^ “伊能忠敬と伊能大図”. 古地図コレクション. 国土地理院. 2022年5月23日閲覧。
- ^ “伊能大図(米国)について”. 古地図コレクション. 国土地理院. 2022年5月23日閲覧。
- ^ 渡辺(2021) p.167
- ^ 渡辺(2021) p.168
- ^ a b “伊能忠敬の地図 縮尺最小「小図」の副本見つかる 重文級の発見”. 毎日新聞 (2021年5月18日). 2021年6月11日閲覧。
- ^ 織田(1974) pp.111-112
- ^ “方位磁石の指す「北」は西方に変化し続けている ―全国の「地磁気図」を5年ぶりに改定”. つくば科学万博記念財団 (2022年2月2日). 2022年6月11日閲覧。
- 1 大日本沿海輿地全図とは
- 2 大日本沿海輿地全図の概要
- 3 その後の伊能図
- 4 雑記
- 5 外部リンク
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