幕末の伊能図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 15:30 UTC 版)
開国後の文久元年(1861年)、イギリス海軍の測量艦「アクテオン(英語版)」が、「攘夷派をあまり刺激しない方が良い」との幕府の勧告を無視して日本沿岸の測量を強行しようとした際、たまたま幕府役人が所有していた伊能小図の写しを見て、その優秀さに驚き、測量計画を中止して幕府からその写しを入手することで引き下がったという。なお、このときの伊能図の写しを元に1863年にイギリスで「日本と朝鮮近傍の沿海図」として刊行され、日本に逆輸入されて、勝海舟(1823年 - 1899年)の手によって慶応3年(1867年)に「大日本国沿海略図」として木版刊行された。これにより伊能図を秘匿する意味がなくなったため、同年には幕府開成所からも伊能小図を元にした「官板実測日本地図」が発行され、小図のみとはいえようやく一般の目に供されるようになった。
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