幕末の三筆
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江戸時代の終わりから、書のみを生業として生活する専門家、いわゆる書家が登場したが、江戸時代末から明治時代初期に活躍し、多くの書家に唐様の影響を与えた市河米庵・巻菱湖・貫名菘翁の3人を幕末の三筆と呼ぶ。幕末のときに唐様を学んだ書家や文人、僧侶らの書が多く遺っているのはこの影響である。 江戸の市河米庵の門弟は、大名・僧侶・庶民に至るまで5,000人いたといわれ、近代書家の嚆矢と位置づけられる。越後国に生まれた巻菱湖も江戸に赴いて書を教授し、後に子弟は10,000人を越え、米庵以上の流行をみた。菱湖の手本は200種にも及び、それが近代初頭の習字教科書の手本に引き継がれたことから、近代の習字教師の祖といえる。 江戸時代中期までの唐様は、宋以降の書を学んだ書風で、根が浅く、趣味以上を出ない軽薄な書に終わっていた。しかし、中期から書法の研究が進み、晋唐の書風を提唱する者があらわれ、その古典を遵守する復古思想により、格調の高い質実な書を創り出した。その代表が貫名菘翁で、王羲之の系譜の書を体系的に学習しており、その気品も含めて日本書道史に類例を見ない書を遺している。ここに日下部鳴鶴が、「我が邦の三筆、三跡以後、第一の霊腕」と称揚した理由がある。菘翁の書には晋唐書の忠実な学書と三筆、三跡への深い教養が満ちており、米庵や菱湖の書の水準をはるかに抜けている。 『五仙騎五羊』(右幅、巻菱湖筆) 『五仙騎五羊』(左幅、巻菱湖筆) 『景幽佳兮足真賞』(市河米庵筆)
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