幕末にかけての武家火消の活動とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 幕末にかけての武家火消の活動の意味・解説 

幕末にかけての武家火消の活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 01:29 UTC 版)

火消」の記事における「幕末にかけての武家火消の活動」の解説

享保の改革による町火消確立後、幕末にかけて江戸消防体制武家火消主体から町火消主体へと移行していく。元文元年1736年以降方角火消江戸城風上火事大火場合のみ出動改められる寛政4年1792年)には、定火消が町人地へ出動しないことになった(風の強い日に起きた火事のみは例外であった)。文政2年1819年)には定火消出動範囲江戸郭内限定され郭外町火消担当となったこうした武家火消出動範囲減少は、町火消能力幕府認められたためであった黒船来航から2年後安政2年1855年)、定火消2組削減されて8組となる。文久2年1862年)には方角火消火事場見廻役が廃止され所々火消削減され担当11箇所から3箇所となった慶応2年1866年)には定火消8組が半減され4組に、翌慶応3年には1組128名のみの構成となり、江戸消防体制町火消全面的に依存するうになる。この定火消大幅な削減は、幕府洋式軍備拡大原因であり、大名火消削減文久の改革による参勤交代緩和原因であった明治元年1868年)、新政府によって武家火消はすべて廃止され代わり消防組織として火災防御隊が設けられた。火災防御隊は兵部省所属し皇城江戸城)の消防担当する定められたが、翌年には廃止されている。

※この「幕末にかけての武家火消の活動」の解説は、「火消」の解説の一部です。
「幕末にかけての武家火消の活動」を含む「火消」の記事については、「火消」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「幕末にかけての武家火消の活動」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「幕末にかけての武家火消の活動」の関連用語

1
6% |||||

幕末にかけての武家火消の活動のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



幕末にかけての武家火消の活動のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの火消 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS