幕末から第二次大戦まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 23:42 UTC 版)
幕末から明治維新にかけての動乱期には江戸幕府への敵対心を燃やしていた長州藩が終始倒幕運動をリードした。このため、長州藩は明治期においての日本政治界に多くの人材を生み出した。津和野藩は明治初期に西周や森鷗外などの知識人を輩出した。 欧米列強による植民地化が世界中で進む中、明治政府は富国強兵政策を執って植民地化を免れた。当時、朝鮮半島や中国にも近い山陽や北九州は、経済や軍事における要衝ともなった。1894年(明治27年)に日清戦争が起こると、帝国議会と大本営が臨時に広島へ移転し、これ以来、広島は兵站も置かれて軍需都市ともなった。また、広島近郊に位置する呉や江田島も、帝国海軍の本拠地ともなった。この影響か、第二次世界大戦の終結直前には、軍都たる広島にはアメリカ軍によって原子爆弾が投下され、岡山、呉、徳山、下関、福山などの当時の主要都市は軒並み激しい空襲を受けた。
※この「幕末から第二次大戦まで」の解説は、「中国地方」の解説の一部です。
「幕末から第二次大戦まで」を含む「中国地方」の記事については、「中国地方」の概要を参照ください。
- 幕末から第二次大戦までのページへのリンク