書物奉行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/04 15:23 UTC 版)
書物奉行(しょもつぶぎょう)は、江戸幕府の職名の一つ。
著名な奉行に、青木昆陽、高橋景保、近藤重蔵、渋川敬直らがいる。
概要
寛永10年(1633年)12月20日、設置された[1]。定員は通常は4名で、増減(3~5名)があった。若年寄の支配を受け、役高200俵、役扶持7人扶持、焼火の間席であった。
職務は、江戸城の紅葉山文庫の管理、図書の収集、分類、整理、保存、調査である。
書物奉行の配下に同心がおり、持高勤めで、元禄6年(1694年)に4人、以降増員され江戸後期には21人いた。古参の同心は世話役を務めた。また塗師・蒔絵師がいる。
慶応2年(1866年)に廃止された。
書物奉行の職務記録として、宝永3年(1706年)から安政4年(1857年)までの記録である全225巻の『御書物方日記』がある。
実際の職員の例
安政3年(1856年)当時(『諸向地面取調書』より)
御書物奉行
石井内蔵允、中井太左衛門、島田帯刀、武嶋安左衛門
御書物同心
都甲斧太郎、持田鎌太郎、坂田周之助、大柳甚之助、小田雄之助、海賀雅五郎、山本清右衛門、樋口賢之助、中嶋祖兵衛、鈴木栄次郎、木本佐一郎、府馬清兵衛、市野平、星野益太郎、市野市郎左衛門
御用達町人
出雲寺萬次郎
脚注
- ^ 東京大学史料編纂所 1963, p. 31.
参考文献
書物奉行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 14:01 UTC 版)
享保19年(1734年)8月8日、書物奉行に転じる。浅井奉政の死去に伴う補充であった。相役の書物奉行は奈佐勝英・水原保氏・川口信友・桂山義樹(彩巌)であった。 元文4年(1739年)12月18日、書籍校合のことで黄金3枚を賜わった。これは、火災で家蔵資料を失った二条家から依頼されていた、紅葉山文庫所蔵の『二条家日次記』写本を書写するとともに、関連諸資料の調査・書写・校合を行う作業を、桂山義樹とともに終了させたことへの褒美である。 また、有隣と桂山義樹は、西洋の科学技術書『奇器図説』の翻訳を行っている。これは、中国に派遣されたイエズス会士ヨハン・シュレック(ヨハン・テレンツ、鄧玉函)の説明をもとに王徴が著した漢文書籍『遠西奇器図説録最(中国語版)』(通称『奇器図説』)を、日本語に翻訳したものである。後年、吉宗側近学者の論考を集成した叢書『名家叢書』に収録された。 また、幕府天文方の観測所詰を命じられてもいる。 有隣は30年にわたって書物奉行の席にあった。上記の他の業績としては『類聚国史』『明月記』の校訂などがある。相役の書物奉行となった人物には、小田切昌倫、近藤舜政らがおり、また青木昆陽が同時代に書物方に出仕している(昆陽は明和4年(1767年)に書物奉行となる)。
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