ラランデ暦書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 14:23 UTC 版)
『ラランデ暦書』(ラランデれきしょ)は、フランスの天文学者ジェローム・ラランドによって書かれた天文書のオランダ語訳版Astronomia of Sterrekundeの日本での呼び名。江戸時代の日本において、西洋の天文学理論を知る上で重要な役割を果たした。
注釈
- ^ ただし、Astronomie原著の第2版は、その後の1781年に第4巻が刊行され、全4巻となっている(横塚(2005) pp.516-517)。
- ^ 当時の80両を米価を基準にして今の値段に関残すると、およそ500万円から600万円となる(中村(2008) p.98)。また、高橋至時が江戸の天文方の地位を与えられた時の給与が、年収で40石(1石=1両とすると、年収40両)であった(横塚(2007) pp.9-10)。
- ^ ただし至時は、『ラランデ暦書』入手以前に手に入れていた蘭書『ウヲールデンブック』(ボイス著)にて、緯度1度の長さが緯度によって(たとえば赤道直下と北極付近で比較して)異なるという記述を読んでおり、その時から、地球は完全な球体ではないことにおぼろげながら気付いていたと考えられる。そして『ラランデ暦書』を読んで、その認識をより確かなものとしたと考えられている(日本思想大系65(1972) pp.169-171)。
- ^ ただし『蘭垤訳書』自体はその後の戦災で失われた。現在は同内容のものが『蝋蘭垤歴歩法』10巻10冊という形で残っている(洋学史事典(1984) p.746)。
出典
- ^ デバルバ(2005) p.308
- ^ 上原(1977) p.162
- ^ 中村(2008) pp.99-100
- ^ 上原(1977) pp.164-165
- ^ 上原(1977) p.165
- ^ a b 上原(1977) p.164
- ^ 上原(1977) pp.164,166-167
- ^ 中山(1972) pp.477-478
- ^ a b c 嘉数(2005) p.312
- ^ a b 上原(1977) p.169
- ^ 伊東ほか(1983) p.1093
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- ^ a b 中山(1972) p.474
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- ^ 中山(1972) pp.473-474
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- ^ 上原(1977) p.171
- ^ 中村(2008) p.98
- ^ 渡辺(2003) pp.76-83
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- ^ 中村(2008) p.122
- ^ a b c 嘉数(2005) p.314
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- ^ 保柳(1997) p.21
- ^ 保柳(1997) pp.21,25
- ^ 嘉数(2005) p.313
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- ^ a b c 洋学史事典(1984) p.747
- ^ a b 横塚(2007) p.5
- ^ a b 横塚(2007) p.6
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- ^ 渡辺(1986) p.382
- ^ 上原(1977) pp.165-166
- ^ 中山(1972) p.475
- ^ 横塚(2005) p.520
- ^ 上原(1977) p.174
- ^ 上原(1977) p.173
- ^ 渡辺(1986) p.232
- ^ 渡辺(1986) pp.232-233
- ^ 上原(1977) p.177
- ^ 上原(1977) p.181
- ^ a b 中山(1972) p.473
- ^ a b 上原(1977) p.185
- ^ 上原(1977) p.186
- 1 ラランデ暦書とは
- 2 ラランデ暦書の概要
- 3 所在
- 4 脚注
- ラランデ暦書のページへのリンク