伊能忠敬の測量と『ラランデ暦書』とは? わかりやすく解説

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伊能忠敬の測量と『ラランデ暦書』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 14:23 UTC 版)

ラランデ暦書」の記事における「伊能忠敬の測量と『ラランデ暦書』」の解説

『ラランデ暦書』から得られ天文知識は、伊能忠敬による日本測量の際に活用された。 忠敬が日本全国測量しよう考えた当初の目的は、緯度1度相当する子午線弧長を求めることであった。忠敬は測量中に測定行い子午線一度28里2分という結果得た。しかし忠敬の師匠である至時は、測量では土地高低差による誤差生まれるおそれがあり、自らが書物元に得た結果とも異なるとして、忠敬の測定値には信頼を置かなかった。だが後に『ラランデ暦書』を手にした至時は、地球は完全な球体ではなく南北方向つぶれた扁球形であることを知った。さらに、『ラランデ暦書』掲載されていた子午線1度の値は忠敬の実測値とほぼ一致しており、このことから忠敬の測定正確さ確かめられ、忠敬と至時は喜び合ったまた、『ラランデ暦書』には、ガリレオ衛星の食を利用した経度求め方記載されていた。木星の衛星木星表面通過する時間異なる2か所で測定してその時間のずれから経度求める。至時はこの方法を理解し、至時の死後間重富高橋景保の手によって引き継がれ、食の予報表が作成された。そして文化2年1805年)から行われた忠敬一行西日本測量において、この木星の衛星使った方式や、あるいは月食などを使った方式により観測行い経度求められた。しかし天候観測技術問題があり、さらに浅草天文台火災により江戸で観測データ失われたこともあって、忠敬らによる経度算出成功したとは言い難い。そのため忠敬が作成した大日本沿海輿地全図は、現在の地図比較すると、経度方向大きなずれが見られる

※この「伊能忠敬の測量と『ラランデ暦書』」の解説は、「ラランデ暦書」の解説の一部です。
「伊能忠敬の測量と『ラランデ暦書』」を含む「ラランデ暦書」の記事については、「ラランデ暦書」の概要を参照ください。

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