間重富とは? わかりやすく解説

はざま‐しげとみ【間重富】

読み方:はざましげとみ

[1756〜1816江戸中期天文・暦学者大坂の人。号、長涯・耕雲富裕な商人出身麻田剛立(あさだごうりゅう)の門人で、幕府寛政改暦観測器械改良尽力長崎沿海測量行った


間重富

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 06:36 UTC 版)

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間重富
生誕 孫六郎(まごろくろう)
宝暦6年3月8日1756年4月7日
大坂長堀富田屋町(現・大阪市西区新町2丁目
死没 文化13年3月24日1816年4月21日
別名 長涯(ちょうがい)十一屋五郎兵衛 十五楼主人
研究分野 天文学
研究機関 天文方
影響を
受けた人物
麻田剛立
影響を
与えた人物
橋本宗吉
配偶者 りつ
子供 長男:間重新(しげよし)、三女:とう
プロジェクト:人物伝
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間長涯天文観測の地石碑

間 重富(はざま しげとみ、宝暦6年3月8日1756年4月7日) - 文化13年3月24日1816年4月21日))は、江戸期天文学者。号は長涯(ちょうがい)。寛政の改暦に功績があった。[1]

略歴

宝暦6年(1756年)3月8日、大坂長堀富田屋町の北詰(現・大阪市西区新町2丁目)で、質屋を営む羽間屋の第六子として生まれる。蔵が11あったことからも「十一屋(といちや)」と呼ばれた裕福な家業を継ぎ、通称は十一屋五郎兵衛(7代目)[2]

彼の時代に蔵が15に増えたので「十五楼主人」とも号した[3]

少年の頃から天文学に興味を持ち、天学塾・先事館の麻田剛立に入門したのは天明7年(1787年)の頃とされている。[4]

重富は質屋を営むかたわら、自宅に観測用の高台を設け、天体の観測に励んだ。また、観測の精度を高めるため、自ら考案した様々な観測機器を職人に作らせ、天文暦学の発達に貢献した。現存する最古の観測記録は、寛政元年(1789年)10月1日の日食である。[5]

寛政7年(1795年)、高橋至時と幕府から江戸に招かれ寛政の改暦事業に参加した。彼らは観測機器により正確な天体の運行を観測するとともに、麻田剛立の理論や「暦象考成」を参考にして、「歴法新書」を編纂。これを元に寛政10年(1798年)、「寛政暦」が施行された。この功績により、幕府の天文方と同格の待遇を受け、苗字を名乗ることを許されて間と改めた。また江戸では高橋至時とともに伊能忠敬の指導を行っている。重富が考案した観測機器は、日本地図を作成する伊能忠敬らの大いなる助けになった[6]

その後大阪に戻り、北堀江・富田屋橋に英国製の観測機器を備え、天体観測や陸地測量を続けた。息子の間重新(はざましげよし)も天体観測を行い、同家は明治維新に至るまで、大坂で多くの観測記録を残した。天明8年(1788年)、蘭方医小石元俊と共同で市井の傘職人だった橋本宗吉を後援し、江戸へ遊学させる[7]。橋本宗吉は関西蘭学の祖と呼ばれ、重富は大坂町人社会の中に蘭学、科学の繋がりを構成することに貢献した[6]

大正8年(1919年)、従五位を追贈された[8]

重富の関係資料は「羽間文庫」として収蔵されていたが、現在は大阪市の博物館・図書館へ寄贈され、天文学史研究の貴重な資料として活用されている。この資料群の一部は、平成28年(2016年)に「間重富関係資料」として、国の重要文化財に指定された[9][10]

昭和35年(1960年)、富田屋橋南詰跡に、「間長涯天文観測の地」と刻まれた石碑が大阪市によって建てられた。その後、長堀川の埋め立ての影響で移設し、現在では長堀グリーンプラザ内にその姿を見ることができる[11]

著書

  • 算法弧矢索隠[12]
    • 享和元年(1801年) 1冊
    • 数学の論文。円に関する原理の考察。
  • 易法考[12]
    • 文化5年(1808年) 1冊
    • 日時計に関する小論
  • 垂球精義[12]
    • 文化2年(1805年) 1冊
    • 垂揺球義の原理と惑星運航原理との考察
  • 星学諸表[13]
  • 天地二球用法評説

実測図

  • 山陽道実測図[14]
    • 間重富監修
    • 享和2年(1802年)

観測機器

観測技術面での才能を発揮、多くの観測機器を考案・改良した[15]

  • 天球儀
    • 江戸後期 1台
  • 渾天儀(竹製)
    • 江戸後期 1台
  • 渾天儀(黄銅製)
    • 江戸後期 1台
  • 反射式望遠鏡
    • 江戸後期 [16]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 『変貌する大阪-その歴史と風土』p.288
  2. ^ 『天文学者たちの江戸時代』p.144
  3. ^ 『江戸の天文学』p.114
  4. ^ 『大阪春秋』第22巻第1号(上田穣 1993年 p.30)
  5. ^ 『なにわの天文学展 展示録』(長崎市教育委員会 シーボルト記念館 2003年)
  6. ^ a b 『大阪堀江今昔 堀江三十三橋 橋づくし』p.38
  7. ^ 『江戸の天文学』p.115
  8. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.48
  9. ^ 図書館からのお知らせ2016/08/17 「間重富・間家関係文書」が国の重要文化財に指定されました。”. 大阪市立図書館. 2018年3月13日閲覧。
  10. ^ 重要文化財指定の「間重富関係資料」の速報展示を開催します”. 大阪歴史博物館. 2018年3月13日閲覧。
  11. ^ 『大阪堀江今昔 堀江三十三橋 橋づくし』p.37
  12. ^ a b c 受贈記念 羽間文庫 ー町人天文学者間重富と大阪ー p.8
  13. ^ 受贈記念 羽間文庫 ー町人天文学者間重富と大阪ー p.10
  14. ^ 受贈記念 羽間文庫 ー町人天文学者間重富と大阪ー p.9
  15. ^ 受贈記念 羽間文庫 ー町人天文学者間重富と大阪ー p.6-7
  16. ^ 大阪歴史博物館「間重富関係資料」速報展示のグレゴリー式反射望遠鏡。間重新が使用

参考文献

  • 『羽間文庫 : 町人天文学者間重富と大阪 : 特別陳列』大阪市立博物館編、1999年
  • 嘉数次人『天文学者たちの江戸時代―暦・宇宙観の大転換』 筑摩書房ちくま新書〉、2016年
  • 鳴海風『星空に魅せられた男』くもん出版、2011年
  • 中村士監修『江戸の天文学』株式会社角川学芸出版、2012年
  • 水知悠之介『大阪堀江今昔 堀江三十三橋 橋づくし』燃焼社、2003年
  • 山内篤・森田良・西田光男編著『変貌する大阪-その歴史と風土』東京法令出版、1986年

関連項目

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