天文方の観測施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 01:49 UTC 版)
渋川春海が天文方に任じられた翌貞享2年(1685年)に牛込藁町の地に司天台を設置した。元禄2年(1689年)に本所、同14年(1701年)に神田駿河台に移転する。春海の没後、延享3年(1746年)[要出典]に神田佐久間町、明和2年(1765年)に牛込袋町に移り、天明2年(1782年)に浅草の浅草天文台(頒暦所とも)に移った。この時に「天文台」という呼称が初めて採用された。高橋至時や間重富が寛政の改暦に従事したのは牛込袋町・浅草時代であり、伊能忠敬が高橋至時の元で天文学・測量学を学んだのも浅草天文台であった。その後、天保13年(1842年)に渋川景佑らの尽力で九段坂上にもう1つの天文台が設置されて天体観測に従事した。明治2年(1869年)に天文方とともに浅草・九段の両天文台が廃止される事になる。
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