天文方の各家とは? わかりやすく解説

天文方の各家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 01:49 UTC 版)

天文方」の記事における「天文方の各家」の解説

渋川家 渋川春海改暦功績により、貞享元年1684年天文方となる。養子縁組繰り返しながらも幕末まで継承された。 渋川春海-昔尹-敬尹-敬也-則休-光洪-正清-正陽-景佑-(敬直)-佑賢-敬典 猪飼家 御徒であった正一豊次郎)が享保元年1716年渋川敬尹の暦作御用手伝となり、元文元年1736年天文方になる。寛保元年1741年)に正一没する後継者なく、1代限りとなる。 西川家 長崎天文家である西川如見息子西川正休が延享4年1747年天文方となり、2代続く。 (西川如見)-正休-忠喬 山路家 山路主住宝暦改暦宝暦暦)の際に渋川則休西川正休の補暦御用手伝となり、明和元年1764年)に天文方任命されたのに始まる。2代之徽は天文方任命されなかったが、3代徳風以後幕末まで天文方継承した。なお、徳風玄孫愛山は、作家として知られている。 山路主住-(之徽)-徳風-諧孝-彰常-(彰善)-(愛山吉田家 佐々木長秀(後に吉田秀長)が宝暦改暦宝暦暦)の際に西川正休の息子忠喬の作暦手伝となり、明和元年1764年天文方任じられ宝暦暦修正事業命じられた。以後吉田家幕末まで天文方継承した吉田秀長-秀升-秀賢-秀茂 奥村家 奥村邦俊が明和2年1765年)に新暦調手伝となり、天明7年1787年天文方任じられた。1代限りである。 高橋家 高橋至時寛政7年1795年)に天文方任命されたのに始まる。至時の長男である景保がシーボルト事件関与して獄死したため高橋家2代で終わるが、次男景佑渋川家養子となっている。 高橋至時-景保 足立家 足立信頭寛政改暦寛政暦)のために高橋至時助手となり、天保6年1835年天文方任じられた。幕末まで2代にわたり天文方務めた足立信頭-(信順)-信行

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