天文方の廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 01:49 UTC 版)
大政奉還、鳥羽・伏見の戦い後、土御門晴雄は朝廷に願い出て、暦算、頒暦の権限を土御門家に取り戻し、天文方は廃止されて、同職にあった渋川敬典・山路彰常に代わって、晴雄が陰陽頭として責任者の地位に就いた。土御門家は明治2年の作歴を行うが、同年晴雄が没し、土御門家を11歳の子・和丸(土御門晴栄)が継ぐ事となり、明治3年(1870年)、天文暦道の権限は文部省の天文暦道局に移され、同年旧暦8月7日天文暦道局は東京に移され、旧暦8月25日星学局と改称された。星学局には旧天文方の渋川敬典も任用された。同年末、土御門晴栄は大学御用係を免職となり、暦道における土御門家の特権は廃止された。
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