天文期におきた出来事とは? わかりやすく解説

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天文期におきた出来事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 02:19 UTC 版)

天文 (元号)」の記事における「天文期におきた出来事」の解説

元年8月24日1532年): 山科本願寺焼き打ち京都町衆法華一揆宗徒六角氏による襲撃4年12月5日1535年): 森山崩れ尾張森山滞陣中の松平清康陣中にて誤殺される。 5年7月27日1536年): 天文法華の乱法華宗対立する延暦寺衆徒京都法華一揆破り21寺院を焼く。 10年6月14日1541年): 甲斐国守護武田家武田晴信(後の武田信玄)が父の信虎追放することで当主交代当主となった晴信は海野平合戦契機信濃侵攻開始11年6月天文の乱 12年8月25日1543年): ポルトガル船が種子島漂着し鉄砲日本に伝来1542年説あり) 14年1545年) - 15年第二次河東一乱河越城の戦い乗り切り北条氏康大きく勢力伸ばす15年12月20日1546年): 足利義輝室町幕府13代将軍に就任17年12月30日1548年): 長尾景虎(後の上謙信)が兄・晴景に代わって家督継ぎ越後春日山城入城18年2月24日1549年): 美濃国斎藤道三の娘濃姫尾張国織田信長嫁ぐ18年6月24日1549年): 江口の戦い三好長慶主筋管領細川晴元逆らってまで三好政長(宗三)を討伐その後長慶攻勢恐れた晴元将軍一家伴って京から退去するも、劣勢挽回できなかった為に細川政権終焉つながった18年7月3日1549年): フランシスコ・ザビエル乗った船が鹿児島到着7月22日上陸18年11月8日 - 9日1549年): 織田信秀三河安祥城今川氏奪われる信秀庶長子であった城主織田信広捕らわれ織田氏三河から締め出された。 18年11月27日1549年): 三河松平領が今川義元支配下となり、竹千代(後の徳川家康)が今川人質として駿府出立19年2月10日1550年): 二階崩れの変豊後守護大友義鑑家臣襲撃され重傷を負う。2日後死去20年8月28日 - 9月1日1551年): 大寧寺の変周防戦国大名大内義隆が、守護代陶晴賢たちの軍勢攻められ逃亡先の長門大寧寺にて自害大内氏滅亡24年10月1日1555年10月16日)、厳島の戦い安芸国厳島毛利元就陶晴賢を破る。晴賢は自害この後元就大内氏旧領併合していく。

※この「天文期におきた出来事」の解説は、「天文 (元号)」の解説の一部です。
「天文期におきた出来事」を含む「天文 (元号)」の記事については、「天文 (元号)」の概要を参照ください。

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