天文期におきた出来事
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「天文 (元号)」の記事における「天文期におきた出来事」の解説
元年8月24日(1532年): 山科本願寺焼き打ち。京都町衆の法華一揆で宗徒と六角氏による襲撃。 4年12月5日(1535年): 森山崩れ。尾張森山に滞陣中の松平清康、陣中にて誤殺される。 5年7月27日(1536年): 天文法華の乱。法華宗と対立する延暦寺衆徒が京都の法華一揆を破り21の寺院を焼く。 10年6月14日(1541年): 甲斐国守護武田家で武田晴信(後の武田信玄)が父の信虎を追放することで当主交代。当主となった晴信は海野平合戦を契機に信濃侵攻を開始。 11年6月 : 天文の乱 12年8月25日(1543年): ポルトガル船が種子島に漂着し、鉄砲が日本に伝来(1542年説あり) 14年(1545年) - 15年 : 第二次河東一乱、河越城の戦いを乗り切り、北条氏康が大きく勢力を伸ばす。 15年12月20日(1546年): 足利義輝が室町幕府13代将軍に就任。 17年12月30日(1548年): 長尾景虎(後の上杉謙信)が兄・晴景に代わって家督を継ぎ越後・春日山城に入城。 18年2月24日(1549年): 美濃国斎藤道三の娘濃姫が尾張国織田信長に嫁ぐ。 18年6月24日(1549年): 江口の戦い。三好長慶が主筋の管領・細川晴元に逆らってまで三好政長(宗三)を討伐。その後、長慶の攻勢を恐れた晴元が将軍一家を伴って京から退去するも、劣勢を挽回できなかった為に細川政権の終焉につながった。 18年7月3日(1549年): フランシスコ・ザビエルが乗った船が鹿児島に到着。7月22日に上陸。 18年11月8日 - 9日(1549年): 織田信秀、三河安祥城を今川氏に奪われる。信秀の庶長子であった城主・織田信広は捕らわれ、織田氏は三河から締め出された。 18年11月27日(1549年): 三河の松平領が今川義元の支配下となり、竹千代(後の徳川家康)が今川の人質として駿府へ出立。 19年2月10日(1550年): 二階崩れの変。豊後守護・大友義鑑、家臣に襲撃され、重傷を負う。2日後に死去。 20年8月28日 - 9月1日(1551年): 大寧寺の変。周防の戦国大名・大内義隆が、守護代・陶晴賢たちの軍勢に攻められ、逃亡先の長門大寧寺にて自害。大内氏滅亡。 24年10月1日(1555年10月16日)、厳島の戦い。安芸国厳島で毛利元就が陶晴賢を破る。晴賢は自害。この後、元就は大内氏の旧領を併合していく。
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