天文現象の目撃者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/05 10:10 UTC 版)
「イブン・ブトラーン」の記事における「天文現象の目撃者」の解説
イブン・ブトラーンの名前は、天文学史においても知られている。1054年の超新星爆発は、日本の『明月記』と中国の文献に記録があるが、それらを除く文献記録は、イブン・ブトラーンによるものしかない。東アジアの文献によると、この「客星」は、3週間にわたり空に輝き続け、日中でも観測できたという。イブン・ブトラーンは、この1054年の北半球が夏の時期に起きたこの天文現象についての証言を残しており、それは、彼がフスタートを去り、コンスタンティノープルに移住するときのことであった。 イブン・ブトラーンの証言は曖昧なものであり、東アジアの文献がなければ使い物になるものではないが、その一方で、この天文現象を目撃した年、彼が「まばゆい」と表現したその星の黄道帯における位置(双児宮)、そのときに土星が巨蟹宮に入ったことを記している。これらの記述は、彼が目撃した天文現象が1054年の超新星爆発であると同定するのに十分な情報である。 イブン・ブトラーンは、自分が目撃した天文現象を「天気星」al-kawkab al-atari と名づけた。アリストテレスの宇宙論において、天球は万古不変であるとされる。このドグマに反する現象はすべて、月下界の現象に位置づけられた。 イブン・ブトラーンの証言は、13世紀の医者イブン・アビー・ウサイビアが1242年に書いた古今東西の医者の列伝 Uyun al-Anba の中で引用されたかたちで現代に伝わる。
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