小出兼政と『ラランデ暦書』
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「ラランデ暦書」の記事における「小出兼政と『ラランデ暦書』」の解説
一方で、江戸の天文台とは別に、土御門の師範代である小出兼政(字:脩喜、通称:長十郎)らも『ラランデ暦書』の翻訳を試みている。小出は天保6年(1835年)渋川景佑に入門し、『ラランデ暦書』の存在を知った。そして嘉永3年(1850年)、長崎の質屋から購入することにより、現物を手にすることができた。その時に購入の仲介をした名村貞五郎はオランダ語の字引を持っていたため、それを参考にしつつ、嘉永5年(1852年)より翻訳を始めた。翻訳は小出の他、養子の小出由岐左衛門と、蘭方医の高畠耕斎と共同で行われた。訳文は『蘭垤訳書』全7冊としてまとめられ、原著の太陽・月・5惑星・日月食の部分が訳されている。また、翻訳にあたっての経緯をつづった『蝋蘭垤訳暦前文』も残されている。
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