かつらがわ‐ほしゅう〔かつらがはホシウ〕【桂川甫周】
桂川 甫周 (かつらがわ ほしゅう)
1751〜1809 (宝暦元年〜文化6年) |
【蘭方医】 顕微鏡を初めて医学に応用。『解体新書』にも参加した博学の英才。 |
江戸後期の蘭方医。江戸出身。桂川家4代。若くして英才を発揮、19歳にして奥医師となる。1775年来日したリンネの弟子ツンベリと親交を結んだ。前野良沢らと『解体新書』の翻訳に参加。大黒屋光太夫の供述から『北槎聞略』を著し、『顕微鏡用法』では初めて顕微鏡を医学に応用している。『和蘭字彙』を編纂した桂川7代の甫周は別人。 |
年(和暦) | ||
●1764年 (明和元年) | ■江戸大火 | 13才 |
●1772年 (安永元年) | ■目黒行人坂火事 | 21才 |
●1783年 (天明3年) | ■浅間山噴火 | 32才 |
●1789年 (寛政元年) | ■棄捐令 | 38才 |
●1790年 (寛政2年) | ■石川島に人足寄場を設置 | 39才 |
●1791年 (寛政3年) | ■江戸市中銭湯の男女混浴を禁止 | 40才 |
●1797年 (寛政9年) | ■湯島聖堂を昌平坂学問所と改称 | 46才 |
●1803年 (享和3年) | ■江戸開府200年 | 52才 |
●1806年 (文化3年) | ■芝の大火 | 55才 |
●1808年 (文化5年) | ■フェートン号事件 | 57才 |
・伊能 忠敬 | 1745年〜1818年 (延享2年〜文政元年) | +6 |
・長谷川 平蔵 | 1745年〜1795年 (延享2年〜寛政7年) | +6 |
・塙 保己一 | 1746年〜1821年 (延享3年〜文政4年) | +5 |
・司馬 江漢 | 1747年〜1818年 (延享4年〜文政元年) | +4 |
・並木 五瓶 | 1747年〜1808年 (延享4年〜文化5年) | +4 |
・大田 南畝 | 1749年〜1823年 (寛延2年〜文政6年) | +2 |
・蔦谷 重三郎 | 1750年〜1797年 (寛延3年〜寛政9年) | +1 |
・笠森 お仙 | 1751年〜1827年 (宝暦元年〜文政10年) | 0 |
・喜多川 歌麿 | 1753年〜1806年 (宝暦3年〜文化3年) | -2 |
・鶴屋 南北 | 1755年〜1829年 (宝暦5年〜文政12年) | -4 |
・大槻 玄沢 | 1757年〜1827年 (宝暦7年〜文政10年) | -6 |
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