きたがわ‐うたまろ〔きたがは‐〕【喜多川歌麿】
喜多川歌麿
喜多川 歌麿 (きたがわ うたまろ)
1753〜1806 (宝暦3年〜文化3年) |
【浮世絵師】 美人画の代名詞的な浮世絵師。世界のウタマロ。 |
浮世絵師。喜多川派の祖。当初は黄表紙や洒落本などの挿絵を描く。ついで役者の大首絵を美人画に採用、豊かな女性の表情を捉えた画風により、寛政期、鳥居清長と並ぶ美人画の第一人者となった。肉筆画・春画にもすぐれたが、「八景浮世絵」など名所風景画にも名作を残す。晩年は筆禍事件で手鎖の刑を受けるなど、失意のうちに没した。 |
年(和暦) | ||
●1764年 (明和元年) | ■江戸大火 | 11才 |
●1772年 (安永元年) | ■目黒行人坂火事 | 19才 |
●1783年 (天明3年) | ■浅間山噴火 | 30才 |
●1789年 (寛政元年) | ■棄捐令 | 36才 |
●1790年 (寛政2年) | ■石川島に人足寄場を設置 | 37才 |
●1791年 (寛政3年) | ■江戸市中銭湯の男女混浴を禁止 | 38才 |
●1797年 (寛政9年) | ■湯島聖堂を昌平坂学問所と改称 | 44才 |
●1803年 (享和3年) | ■江戸開府200年 | 50才 |
●1806年 (文化3年) | ■芝の大火 | 53才 |
・司馬 江漢 | 1747年〜1818年 (延享4年〜文政元年) | +6 |
・並木 五瓶 | 1747年〜1808年 (延享4年〜文化5年) | +6 |
・大田 南畝 | 1749年〜1823年 (寛延2年〜文政6年) | +4 |
・蔦谷 重三郎 | 1750年〜1797年 (寛延3年〜寛政9年) | +3 |
・笠森 お仙 | 1751年〜1827年 (宝暦元年〜文政10年) | +2 |
・桂川 甫周 | 1751年〜1809年 (宝暦元年〜文化6年) | +2 |
・鶴屋 南北 | 1755年〜1829年 (宝暦5年〜文政12年) | -2 |
・大槻 玄沢 | 1757年〜1827年 (宝暦7年〜文政10年) | -4 |
・松平 定信 | 1758年〜1829年 (宝暦8年〜文政12年) | -5 |
喜多川歌麿
喜多川歌麿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/23 00:09 UTC 版)
狂歌本や一枚絵を描く絵師。世間の評判も高まりつつあるが、生真面目さが絵にも現れ、艶っぽさに欠けていた。旅先の江ノ島で大水の報を聞く。
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喜多川歌麿(きたがわ うたまろ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 06:38 UTC 版)
「地獄先生ぬ〜べ〜の登場人物」の記事における「喜多川歌麿(きたがわ うたまろ)」の解説
せきべーの元に弟子入りしに来た絵師志望の少年。広に似ている。
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