1815年戦役
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/25 14:57 UTC 版)
「ブラウンシュヴァイク近衛大隊」の記事における「1815年戦役」の解説
ナポレオンがエルバ島から帰還すると、フリードリヒ・ヴィルヘルムはすぐに動員を命じた。この「ブラウンシュヴァイク公国野戦軍」(Herzoglich Braunschweigische Feldkorps)は4月15日、ベルギーへ出発する。近衛大隊は他の3個軽歩兵大隊とともに、ヴィルヘルム・トロイシュ・フォン・ブットラー (de:Buttlar (Adelsgeschlecht)) 中佐が率いる軽歩兵旅団に配された。 そして5月11日、ブリュッセルの持ち場に到着する。 6月16日にはカトル・ブラで最初の戦いが行われた (Battle of Quatre-Bras) 。近衛大隊は証言 によれば、重要な役割を果たしている。 フリードリヒ・ヴィルヘルム公はこの戦いの中、近衛大隊の傍らで戦没し、3名の兵士(キュルベル伍長、ラッパ手のアウエと猟兵のレッカウ)によって戦線の後方へ送られた。近衛大隊も大損害を被っている。 2日後の6月18日、近衛大隊はワーテルローの戦いに参加した。ここではウーグモン (Hougoumont) 農場の右側面に投入され、その戦いぶりから改めて名を上げている。 戦闘が終わった後、近衛大隊はフランスの捕虜2000名をブリュッセルに護送する。以後、軍団の残りはパリへ向かい、そこから1815年12月6日にブラウンシュヴァイクへの帰途に就いた。
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