九州電灯鉄道成立とは? わかりやすく解説

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九州電灯鉄道成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:45 UTC 版)

広滝水力電気」の記事における「九州電灯鉄道成立」の解説

1911年5月31日九州電気は再び博多電灯合併仮契約締結した今度福博電気軌道加えた3社で合併する、というものである合併九州電気常務福博電気軌道専務兼ね松永安左エ門主導水力発電電源とする九州電気火力発電電源とする博多電灯福博電気軌道合併すれば最も経済的に活動できるとの狙いからであったが、九州電気博多電灯株主はこの合併強く反対した。当時の3社の業績を見ると、払込資本金は九州電気福博電気軌道博多電灯の順に多かったが、利益金はその反対で、したがって配当率博多電灯12パーセント福博電気軌道10パーセント九州電気7パーセントという具合であった。このことから博多電灯側は業績見劣りする九州電気合併難色示し九州電気側は営業成績基準とする不利な合併条件となることをおそれて合併反対した。また九州電気本社転出をおそれた佐賀市議会も3社合併反対する決議行っている。 九州電気側の意見不一致のため、さしあたり同社外した博多電灯福博電気軌道の2社で合併することとなり、1911年6月28日両社臨時株主総会にて合併仮契約承認して両社間だけでの合併契約を交した。そして同年11月両社合併成立し博多電灯改め博多電灯軌道発足した博多電灯軌道社長に博多電灯社長山口恒太郎続投し、松永専務入った博多電灯軌道成立後同社株価会社将来への期待から高騰したものの、反対に合併参加しなかった九州電気株価下落していった。このことから合併参加反対していた九州電気株主や一役員博多電灯軌道九州電気合併前向きになった。そして同年9月24日九州電気博多電灯軌道との合併株主総会議決した。 ところが今度博多電灯軌道社内路線対立表面化し発電増強必要性認め合併推進する松永らと反対派堀三太郎らが対立株式買占めによって主導権を争う事態になった博多電灯軌道では1912年明治45年4月25日株主総会紛糾の末に社長山口恒太郎裁定九州電気との合併議決され、翌26日両社間に改め合併契約締結された。合併に際して存続会社博多電灯軌道九州電気資本金270万円だが配当率の関係からこれ205万円切り下げ九州電気株主に対して1対0.8125(額面50円払込株式場合)または1対0.7525払込株式場合)の割合同額払込み博多電灯軌道株式交付差額別途積立金組み入れ減価償却充てる、という合併条件であった合併6月7日逓信省より認可されている。 そして1912年6月29日博多電灯軌道九州電気合併成立博多電灯鉄道側の社名変更により「九州電灯鉄道株式会社」が成立した合併際し佐賀県在住株主合併後本社佐賀市に置くよう求めたが、同日株主総会九州電灯鉄道本社引き続き福岡市に置くと決まった総会では続いて役員選出めぐって紛糾しその結果筆頭株主社長候補のの福澤桃介役員就任自体辞退九州電気から佐賀伊丹弥太郎新社長に選出されている。合併後佐賀市には旧九州電気供給区域所管する佐賀支社(後の佐賀支店)が設置された。

※この「九州電灯鉄道成立」の解説は、「広滝水力電気」の解説の一部です。
「九州電灯鉄道成立」を含む「広滝水力電気」の記事については、「広滝水力電気」の概要を参照ください。

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