九州電気軌道による計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 08:46 UTC 版)
「筑豊電気鉄道線」の記事における「九州電気軌道による計画」の解説
九州電気軌道では1911年(明治44年)から1914年(大正3年)の間にのちの西鉄北九州線にあたる門司 - 折尾間を開業したのち、1919年(大正8年)12月18日に折尾 - 福岡間47.27kmの軌道敷設特許を取得。「九軌福岡急行電車」と名付けられた。1924年(大正13年)には門司 - 熊手間の軌道敷設特許を取得している。 1928年(昭和3年)には福岡市に建設部を設置した。1929年(昭和4年)には折尾 - 福岡間の計画を熊手 - 福岡間、城山峠経由を唐津街道、古門往還(通称「殿様通」)経由に変更し(これにより計画距離が0.9km延長)、1931年(昭和6年)に工区を3つに分け宮司 - 吉塚間から着工している。 しかし、同じ1931年には九州電気軌道前社長の松本枩蔵による不正手形事件が発覚し、事件は処理されたものの、九州電気軌道は415万円に及ぶ債務を負うこととなった。このため日本興業銀行から特別融資を受け償還したが、その特別融資の条件として工事の即時中断を余儀なくされ、1933年(昭和8年)9月21日付で門司 - 熊手間の特許を返納し、折尾 - 福岡間の起業廃止を実施した。
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