九州電気への改組とは? わかりやすく解説

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九州電気への改組

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:45 UTC 版)

広滝水力電気」の記事における「九州電気への改組」の解説

広滝水力電気では、供給の拡大に伴い広滝発電所だけでは供給力不足となる懸念生じたことから、波佐見鉱業(現・共立)の古湯発電所30万円買収する方針固め1910年4月買収契約締結した。この古湯発電所買収後川上川発電所称する)は1902年明治35年10月建設で、佐賀県佐賀郡小関村(現・佐賀市)に位置する川上川嘉瀬川上流部)の水力発電所である。11キロボルト送電線繋いで長崎県の波佐見鉱山まで送電していた。 買収契約締結に際して会社発電所立地する川上川の全流域について調査したところ、川上川ではさらなる電源開発が可能であると判明した。しかしその開発には膨大な資金が必要であり、広滝水力電気資金調達力では実現できないものと考えられた。そこで経営陣は、福澤桃介中心とする投資家グループ協力の下に新会社設立し、これに広滝水力電気事業権利一切を引き継がせて新会社によって電源開発遂行する、という方針打ち出した新会社発起人総代には松永安左エ門就き1910年8月広滝水力電気との間に合併契約締結同年9月5日新会社九州電気株式会社」の創立総会開かれ資本金200万円にて新会社発足をみた。 新会社九州電気役員は、広滝水力電気側から社長中野致明専務伊丹弥太郎取締役大島小太郎ら計6人、福澤グループから取締役福澤桃介松永安左エ門田中徳次郎中野実ら計6人と、両派同数構成された。新重役のうち松永福澤慶應義塾時代後輩で、福澤とともに設立参加した福博電気軌道1909年設立)で専務になったことから1909年夏より福岡本拠活動していた。九州電気においても追って1911年明治44年1月常務就任している。この松永推挙により、会社設立時から前三井銀行大阪支店長の田中徳次郎取締役支配人となり会社実務担当した田中慶應義塾出身松永同窓生であった。なお広滝水電気専務牟田万次郎九州電気では役員に就いていない。 1910年9月23日株主総会にて九州電気広滝水力電気合併議決し同年11月29日付で合併完了した合併後資本金270万円となっている。12月には波佐見鉱業からの川上川発電所買収実行移されている。 川上川発電所買収した九州電気では、まず同発電所からの電力を受ける変電所を2か所に新設し佐賀県西部牛津武雄伊万里方面への配電始めた次いで1911年12月には佐賀および唐津への送電線新設している。唐津送電線・同変電所建設に伴い同地火力発電所唐津発電所出力120キロワット)は廃止となった。またこれとは別に県東部の鳥栖にも同年8月変電所設置し広滝発電所からの送電開始した業績について見ると、九州電気改組後増収増益重ね改組資本金増加したため広滝水力電気時代より資本利益率配当率ともに低下していたものの、1911年下期配当率年率7パーセントから9パーセントへと引き上げるなど順調に業績伸ばした

※この「九州電気への改組」の解説は、「広滝水力電気」の解説の一部です。
「九州電気への改組」を含む「広滝水力電気」の記事については、「広滝水力電気」の概要を参照ください。

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