九州電力設立と送電線建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:51 UTC 版)
「大淀川水力電気」の記事における「九州電力設立と送電線建設」の解説
第二発電所建設中の1930年(昭和5年)秋、電気化学工業は八代から大牟田に至る自社送電線の建設に着手した。これについて自社供給区域内に他社の送電線が建設されることになる熊本電気は難色を示し、共同で送電会社を立ち上げるよう持ち掛けた。提案を受けて電気化学工業と熊本電気の折半出資(資本金1000万円)による送電会社を立ち上げ、第一発電所より八代を経て大牟田へ至る送電線を電気化学工業からその送電会社へと移管することとなった。こうして1930年12月10日、電気化学工業・熊本電気によって九州電力株式会社が設立された。大淀川水力電気と同様、九州電力の本社は東京市に置かれた。発足時の社長は藤原銀次郎、副社長は熊本電気の上田万平であった。 九州電力では、大淀川第一・第二両発電所から人吉(人吉変電所)・八代・熊本(弓削変電所)・大牟田(三池変電所)を経て佐賀県の武雄(武雄変電所)へ至る110キロボルト送電線を整備した。逓信省の資料によると、第二発電所 - 第一発電所間(亘長12.2キロメートル)および第一発電所 - 三池変電所間(同175.4キロメートル)は1932年1月使用開始、三池変電所 - 武雄変電所間(亘長64.2キロメートル)は同年3月使用開始である。なお、1934年(昭和9年)になって送電線のうち三池・武雄間が東邦電力に買収されている。 この長距離送電線の完成により、九州電力が大淀川水力電気の2発電所の発生電力を受電し、さらに途中で熊本電気・球磨川電気の系統と連系して受電、こうして集めた電力を電気化学工業・三井鉱山・東邦電力・九州水力電気の4社に分配するという電力系統が構成された。このうち東邦電力・九州水力電気への供給は1932年3月20日より開始。供給は4,000キロワットずつ計8,000キロワットで始まり、毎年増加されて1935年(昭和10年)11月より1万キロワットずつ計2万キロワットの供給となった。なお九州水力電気は九州電力から直接受電する送電線を持たなかったため、久留米変電所(福岡県)まで東邦電力の送電線で託送し、同変電所で九州水力電気から東邦電力へ送る電力などと相殺して相互融通の形で需給する形式をとっている。
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