都市交通審議会答申第10号とは? わかりやすく解説

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都市交通審議会答申第10号

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 19:08 UTC 版)

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都市交通審議会答申第10号(としこうつうしんぎかいとうしんだい10ごう)は、都市交通審議会1968年昭和43年)4月10日に運輸大臣に提出した、「東京及びその周辺における高速鉄道を中心とする交通網の整備増強に関する基本計画の再検討について」の中間答申である。1972年(昭和47年)に更新版である都市交通審議会答申第15号が提示されている。

概要

12路線を整備すべき路線と位置づけている。

答申路線

路線 区間[1] 該当路線
1号線 西馬込品川 - 田町 - 新橋 - 浅草橋 - 浅草 - 押上 都営地下鉄浅草線京急本線
2号線 中目黒 - 六本木 - 霞ヶ関 - 築地 - 茅場町 - 上野 - 三ノ輪 - 北千住 東京メトロ日比谷線
3号線 渋谷 - 赤坂見附 - 新橋 - 神田 - 上野 - 浅草 - 三ノ輪 東京メトロ銀座線
4号線 荻窪方南町 - 中野坂上 - 新宿 - 赤坂見附 - 銀座 - 大手町 - 御茶ノ水 - 池袋 東京メトロ丸ノ内線
5号線 中野 - 高田馬場 - 飯田橋 - 大手町 - 茅場町 - 東陽町 - 西船橋 - 東武野田線方面 東京メトロ東西線
6号線 桐ケ谷 - 五反田 - 三田 - 日比谷 - 春日町 - 巣鴨 - 板橋 - 大和町[2] 都営地下鉄三田線、東急泉岳寺線(未成)、東武東上支線(高島平線・未成)
7号線 目黒 - 飯倉片町 - 永田町 - 市ケ谷 - 駒込 - 王子 - 赤羽町 … 大泉方面 東京メトロ南北線埼玉高速鉄道線
8号線 成増練馬 - 向原 - 池袋 - 護国寺、西落合 - 目白 - 護国寺 - 飯田橋 - 市ケ谷 - 永田町 - 有楽町 - 銀座 - 明石町 東京メトロ有楽町線西武有楽町線
9号線 喜多見 - 代々木上原 - 原宿 - 永田町 - 日比谷 - 池之端 - 日暮里 - 綾瀬 東京メトロ千代田線小田急小田原線
10号線 芦花公園 - 新宿 - 靖国通り - 市ケ谷 - 神保町 - 須田町 - 浜町 - 住吉町 都営地下鉄新宿線京王線
11号線 二子玉川 - 三軒茶屋 - 渋谷 - 神宮前 - 永田町 - 九段下 - 神保町 - 大手町 - 蛎殻町 東京メトロ半蔵門線東急田園都市線
12号線 新宿 - 春日町 - 上野 - 深川 - 月島 - 麻布 都営地下鉄大江戸線

脚注

  1. ^ 「都市交通審議会の中間答申」、運輸公報. (962)、運輸省大臣官房、1968年4月23日
  2. ^ 「やまとまち」。埼玉県北足立郡大和町(現・埼玉県和光市)にある東武東上線の大和町駅(現・和光市駅)を指す。東京都板橋区の大和町(やまとちょう)および現・都営地下鉄三田線板橋本町駅とは異なる。

外部リンク


先代:
1962年:都市交通審議会答申第6号
東京圏の鉄道整備基本計画
1968年: 都市交通審議会答申第10号
次代:
1972年: 都市交通審議会答申第15号

都市交通審議会答申第10号

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 03:56 UTC 版)

東京メトロ有楽町線」の記事における「都市交通審議会答申第10号」の解説

1968年昭和43年4月10日答申された都市交通審議会答申第10号では、第8号線は「成増及び練馬各方面より向原及び池袋各方面経由しまた、中村橋方面より目白方面を経由し護国寺飯田橋市ケ谷永田町有楽町及び銀座各方面経て明石町方面に至る路線」に変更され、「なお、本路線中 中村橋 - 護国寺間については、輸送需要宅地開発等を考慮し将来中村橋及び護国寺からの路線の延伸等を検討することとする」とされた。 この答申基づいて同年12月28日告示され建設省告示第3731号では、第4号線(丸ノ内線)の一部であった成増 - 池袋間が第8号線に編入され中村橋 - 錦糸町であった第8号線は「練馬 - 銀座間の本線(16.5 km)、成増 - 小竹町間(6.3 km)及び中村橋 - 音羽間(9.1 km)の分岐線」へ都市計画路線大幅に改訂された。 この変更を受け、営団地下鉄1968年昭和43年6月6日第8号向原 - 成増町間及び西池袋 - 明石町間の地方鉄道敷設免許申請し併せて第4号線(丸ノ内線)として免許所有していた池袋 - 向原間の起業目論見変更認可申請した続いて同年7月22日 上鷺宮 - 音羽間(中村橋 - 護国寺)の地方鉄道敷設免許申請するとともに申請であった谷原町 - 江東橋間の免許取り下げ願を提出した6月6日免許申請起業目論見変更申請は、同年10月30日交付認可取得し免許取り下げ8月13日受理された。1973年昭和48年10月23日に、上鷺宮 - 音羽間(中村橋 - 護国寺)の路線免許申請は、取り下げている。 第8号線(有楽町線)の路線免許申請した時点では、池袋明石町(現・新富町)間は1973年昭和48年3月開業予定成増現・地成増) - 池袋間は1974年昭和49年3月開業予定していた。第8号線(有楽町線)のうち、練馬 - 向原(現・小竹向原)間は西武鉄道建設し営団地下鉄有楽町線西武池袋線相互直通運転を行うことを予定していた。 1968年昭和43年9月5日営団地下鉄西武鉄道間で相互直通運転に関する覚書取り交わしており、営団地下鉄有楽町線西武池袋線間の相互直通運転開始時期1973年昭和48年)を目途にするとされていた。実際には、西武池袋線営団地下鉄有楽町線本格的な相互直通運転開始されるのは、それから25年経った1998年平成10年)である。 営団地下鉄路線免許取得後建設工事向けて手続き進めていたが、特に練馬区北町地下鉄赤塚 - 平和台付近)で用地取得難航したことや平和台 - 要町間の地上を通る放射36号道路との調整があり、建設工事着手遅れた後述)。 有楽町線最初に計画され1968年昭和43年時点では車両基地成増付近に計画されていたが、既に周辺住宅地として開発されており、用地取得難航予想されたため、和光市駅 - 朝霞駅間に位置した土地取得して和光市付近に車両基地現在の和光検車区)を設けることとなったまた、和光検車区 - 営団成増間は車庫線(回送線)として計画していたが、沿線住民などから営業線とするよう強い要望があった。

※この「都市交通審議会答申第10号」の解説は、「東京メトロ有楽町線」の解説の一部です。
「都市交通審議会答申第10号」を含む「東京メトロ有楽町線」の記事については、「東京メトロ有楽町線」の概要を参照ください。

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