路線全体の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 18:26 UTC 版)
「東映集団時代劇」は、東映時代劇の衰退期に、次の方向を模索する中で、リアルな表現と大人向きのテーマを内包することによって一時的に人気は得たものの、それが逆に、以前の「明朗時代劇」作品の「ウソ」を暴露することとなり、時代劇世界の幻想性に支えられた人気を急速に衰えさせる結果になった、とする指摘がある。 永田哲朗は「パターンの中に自己を見失っていた東映時代劇が、特定のヒーローではなく、集団ないしはグループ、組織が主人公だという新しい考え方を打ち出し、従来の善悪というような図式化された対立ではなく、組織対組織の抗争を描いた点は評価できる。しかし新しい方向へ進むかに見えた東映の集団リアリズム路線は、その後は“大”路線を作ることになって、リアリティも人間性も感じられない、いつもの東映調に後退させた」と評している。 西脇英夫は1976年の映画誌の時代劇特集で「『集団抗争時代劇』は多くの新人作家を一本立ちさせ、時代劇に新しい境地を開いた。その後、彼らのほとんどは映画界からテレビ界へ移行して時代劇を作り続けている。しかし映像の小さいテレビにそのエネルギーがどこまで反映したかはなはだ疑問である。シリアスで残酷な時代劇は茶の間(引用注=一般家庭)向けではないのだろう。もはや彼らの熱気をテレビで伺い知ることはできない。あの4年間の東映集団抗争時代劇とは一体何だったのだろう。任侠映画、実録やくざと、変貌し続けた東映の戦国乱世時代のスタートを飾る胎動期であったのか。あの誠実な時代劇作りの精神は時代劇作家の最後のいなおりだったのか」と論じ、「いずれにしろ、その結論を出すのはもうしばらく控えよう。再び時代劇映画の伝統と革新がスクリーンの上に数々の作品となって甦るその日を待って」との感想を記している。
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