十七人の忍者とは? わかりやすく解説

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十七人の忍者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/03 06:15 UTC 版)

十七人の忍者』(じゅうしちにんのにんじゃ)は、1963年公開の日本映画[1]。主演:里見浩太郎(のちの里見浩太朗)。監督:長谷川安人、脚本:池上金男(のちの池宮彰一郎)。製作:東映京都撮影所、配給:東映モノクロ、99分。江戸幕府に対する謀反のたくらみをめぐる、忍者同士の闘いが描かれる時代劇[2][3]


注釈

  1. ^ 渡邊は戦前に破綻した東京渡辺銀行のかつての御曹司[9]、家が没落していなければ銀行頭取になっていたかもしれない人だった[9]
  2. ^ 東映現代劇においては、岡田茂東映東京撮影所所長時代に路線化した「ギャング路線」にも「集団劇」が取り入れられた[27]。東映東京で『暗黒街の顔役 十一人のギャング』(1963年1月公開)や『ギャング対Gメン 集団金庫破り』(1963年2月公開)を撮った石井輝男は「その頃、会社からスターを揃えた集団劇にしてくれ」と発注があった」と証言している[27]
  3. ^ 決定稿は池上金男との共同脚本。

出典

  1. ^ 十七人の忍者”. 日本映画製作者連盟. 2020年5月25日閲覧。
  2. ^ a b 「内外映画封切興信録 『十七人の忍者』」『映画時報』1963年8月号、映画時報社、51頁。 
  3. ^ 日本カルト映画 1995, p. 106.
  4. ^ 日本カルト映画 1995, pp. 69-74、97.
  5. ^ テレビ成長期の日本映画 2018, pp. 212–215.
  6. ^ a b c d 活劇の行方 1984, pp. 124–160.
  7. ^ a b 感覚記憶と集団抗争時代劇ーー第4回京都映画祭報告 田代真
  8. ^ a b c d e f g h ポスター東映映画史 1980, pp. 178–182.
  9. ^ a b 日下部五朗『シネマの極道 映画プロデューサー一代』新潮社、2012年、99頁。ISBN 978410333231-2 
  10. ^ a b c d e 渡邊 1991, pp. 139–149.
  11. ^ a b c d e f g h i あかんやつら 2013, pp. 166–204.
  12. ^ a b c d 渡邊 1991, pp. 132–138.
  13. ^ a b c d e 渡邊 1991, pp. 132–149.
  14. ^ a b c d e f g h i j k l 日本カルト映画全集 1995, pp. 82–84.
  15. ^ a b c d 日本カルト映画 1995, pp. 69–74.
  16. ^ a b c d 西脇英夫「かつて東映にもニュー時代劇(アクション)があった」『ムービーマガジン』1976年7月20日発行 Vol.7、ムービーマガジン社、18–19頁。 
  17. ^ 映画用語 2012, p. 61.
  18. ^ a b 殺陣 1993, pp. 243–247.
  19. ^ a b c d クロニクル東映1 1992, pp. 182–183.
  20. ^ a b c 「東映、企画本部内に"特別活動班"設置 ―時代劇に集団映画の数字シリーズー」『映画時報』1963年11月号、映画時報社、30頁。 
  21. ^ 由原木七朗(東京新聞記者)・加東康一(本誌評論家)「スタアと共に 里見浩太郎インタビュー 『結婚は30になるまでおあずけ 今年こそいい仕事を…』」『映画情報』1964年8月号、国際情報社、65-66頁。 
  22. ^ 「シネ街」『週刊読売』1964年6月14日号、読売新聞社、34頁。 
  23. ^ 「今月の日本映画ご案内 『大殺陣』」『月刊平凡』1964年9月号、平凡出版、197頁。 
  24. ^ a b 映画用語 2012, pp. 60–61.
  25. ^ 納得すれば、楽しんでやらせていただく。 里見浩太朗 俳優| 5LのWeb版 50代以上の世代に向けたプレミアムマガジン
  26. ^ 東映映画三十年 1981, pp. 121.
  27. ^ a b 石井輝男福間健二『石井輝男映画魂』ワイズ出版、1992年、116-118頁。ISBN 4948735086 
  28. ^ a b c d 渡邊 1991, pp. 139–147.
  29. ^ a b c d あかんやつら 2013, pp. 195–198.
  30. ^ 平井輝章「日本映画月評 東映時代劇のニュールックほか」『映画評論』1964年12月号、38-39頁。 
  31. ^ 「戦後50年 東映 岡田茂会長インタビュー『 おもしろおかしく生きて勲二瑞宝』」『AVジャーナル』1995年12月号、文化通信社、27頁。 「東映事業中心の多角経営を促進 東映、時代に則した新機構人事」『映画時報』1964年3月号、映画時報社、24-26頁。 「座談会 日本映画界はどう進むべきか? ―現代の経営路線に悩む各社―」『映画時報』1964年5月号、映画時報社、20-21頁。 井沢淳・瓜生忠夫大黒東洋士・高橋英一・大橋重勇・嶋地孝麿「〈特別座談会〉 日本映画製作批判 ーこれからの企画製作はいかに進めるべきか」『キネマ旬報』1965年7月上旬号、キネマ旬報社、16頁。 
  32. ^ クロニクル東映2 1992, pp. 5–6.
  33. ^ a b c 中島貞夫「企画特集 日本映画この生きている10年史 '60の豚は'70の狼になるか やくざ襲撃前夜のゴールデンエージ?」『映画芸術』1969年10月号 No266、映画芸術社、44-45頁。 
  34. ^ あかんやつら 2013, pp. 191-198、261.
  35. ^ 「お楽しみ案内 映画・舞台 『その'退屈男'罷りならぬ 映画・歌舞伎先輩スターからヒジ鉄を食った大川橋蔵の立ち場』」『週刊サンケイ』1965年2月22日号、産業経済新聞社、54–55頁。 池上金男笠原和夫・下菊坂菊馬・佐治乾野上竜雄宮川一郎国弘威雄「《座談会》若い世代の発言その1・東映へ直言する」『シナリオ』1966年5月号、日本シナリオ作家協会、30頁。 
  36. ^ 「東映50周年と『千年の恋 ひかる源氏物語』 岡田茂インタビュー」『キネマ旬報』2001年12月上旬号、キネマ旬報社、42-43頁。 
  37. ^ 草壁久四郎「実録/戦後日本映画史 人と事件とー最終回 任侠・実録で血路を開いた東映・岡田 松竹・東宝、日活などの老舗に比べ新参だった東映は、岡田茂を中心に試行錯誤を繰り返しながら逞しく成長してきた...」『宝石』、光文社、1983年1月号、198 - 204頁。 
  38. ^ 映画監督工藤栄一 1992, p. 122.
  39. ^ FB編集同人編「追悼/笠原和夫・深作欣二『東映のゴールデン・トライアングル』 (A)岡田茂 (B)深作欣二 (C)笠原和夫 文・重政隆文」『FB 映画研究誌』第18号 2003年冬、行路社、158-165頁。 
  40. ^ 嶋地孝麿「中村錦之助その静かなる闘志『鮫』の撮影を京都にたずねる…」『キネマ旬報』1964年4月下旬号、キネマ旬報社、21頁。 
  41. ^ クロニクル東映1 1992, pp. 170-175、200-201.
  42. ^ a b c 映画監督工藤栄一 1992, pp. 122–141.
  43. ^ “【読書】波瀾万丈の映画人生』岡田茂著”. 産業経済新聞 (産業経済新聞社): p. 読書2頁. (2004年7月19日) “怪獣だけが映画じゃない、時代劇が銀幕の黄金時代を築いた(戦後の履歴書)”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 9. (1994年11月27日) 松島利行 (1992年4月1日). “〔用意、スタート〕 戦後映画史・外伝 風雲映画城/62 時代劇的な任侠映画”. 毎日新聞夕刊 (毎日新聞社): p. 4 “東映名誉会長 岡田茂氏死去 黄金期支えたドン 希代のヒットメーカー”. 中日新聞 (中日新聞社). (2011年5月10日 朝刊TV解説14頁) 竹中労「連載 日本映画横断その10 大川博社長の死と東映任侠路線(10) 岡田新社長の実現 〈邦画五社はどこへ行く・5〉」『キネマ旬報』1971年10月秋の特別号、キネマ旬報社、96 - 99頁。 楊紅雲「任侠映画路線における東映の成功 : テレビに対抗した映画製作 (1963-1972年) を中心に」『多元文化』第4号、名古屋大学国際言語文化研究科国際多元文化専攻、2004年3月、191-202頁、doi:10.18999/muls.4.191ISSN 13463462NAID 1200009748642021年12月1日閲覧 
  44. ^ 歴史|東映株式会社〔任侠・実録〕(Internet Archive)
    コラム|東映京撮・盟友対談②
    『私と東映』 x 沢島忠&吉田達トークイベント(第2回 / 全2回)
    岡田茂追悼上映『あゝ同期の桜』中島貞夫トークショー(第2回 / 全3回)
    『私と東映』× 神先 頌尚氏インタビュー(第3回 / 全4回)
  45. ^ a b “【戦後史開封】(290) チャンバラ映画(5) 時代劇撤退次々去った東映スター”. 産業経済新聞 (産業経済新聞社): p. 朝刊特集. (1995年3月18日) 
  46. ^ 日本の映画人 2007, p. 122.
  47. ^ 東映の軌跡 2016, p. 564.
  48. ^ 『私と東映』× 神先 頌尚氏インタビュー(第3回 / 全4回)“【産経抄】”. 産経新聞 (産業経済新聞社): p. 1. (2011年5月14日) 山根貞男、米原尚志『「仁義なき戦い」をつくった男たち 深作欣二と笠原和夫 『東映の神髄』とはなにか 聞き書き 東映元社長・岡田茂』日本放送出版協会、2005年、129-130頁。ISBN 4-14-080854-3 「岡田茂(東映・相談役)×福田和也 東映ヤクザ映画『黄金時代』を語ろう 『網走番外地』『緋牡丹博徒』『仁義なき戦い』……」『オール読物』2006年3月号、文藝春秋、216-217頁。 深作欣二山根貞男『映画監督 深作欣二』ワイズ出版、2003年、353頁。ISBN 9784898301555 
  49. ^ ポスター東映映画史 & 1980}, pp. 178–182.
  50. ^ 『明治侠客伝 三代目襲名』トークショー 京都ヒストリカ国際映画祭
  51. ^ a b c d あかんやつら 2013, pp. 197–198.


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