沿革と様式
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「集団時代劇」が製作された期間はおおむね1963年頃から1967年頃までの4~5年間とされる。 その原型は黒澤明監督の東宝映画『七人の侍』で、同じ黒澤の『用心棒』や『椿三十郎』などの影響を受けて「東映集団時代劇」が始まったとされる。当時東映の「明朗時代劇」に陰りが見えていた中、その『用心棒』や松竹の『切腹』などの他社の重厚な時代劇映画に触発され、その対抗策として作られはじめたとする指摘もある。また、本作のほか、『十三人の刺客』『十一人の侍』などに出演した里見浩太朗は「スターシステムの映画は、もうはやらなくなった。だから(略)集団路線が出てきます」と指摘している(上記渡邊達人の企画会議での発言とも符合している)。 『ポスターでつづる東映映画史』では、その嚆矢を東映版『柳生武芸帳』シリーズ第1作『柳生武芸帳』(1961年3月公開、原作:五味康祐 監督:井沢雅彦 主演:近衛十四郎)と規定している。一方、品田雄吉は東映発行の『東映映画三十年』で、1963年3月封切りの『旗本やくざ 五人のあばれ者』(監督:小沢茂弘、主演:片岡千恵蔵)を「集団時代劇路線」第1作としている。また、山根貞男は「『集団時代劇』といっても、そんなジャンルが明確にあるわけでも、ちゃんとした定義があるわけでもない。ときには『集団抗争時代劇』とも『集団残酷時代劇』と呼ばれることがある。1963年12月、工藤栄一監督『十三人の刺客』が出現したとき、ラストのえんえんと長い凄惨な殺陣が多くの人に衝撃を与え、ジャーナリズム上にそうした呼称が生まれたのであろう」と論じている。 東映企画室長・辻野力弥は『映画時報』のインタビューに対し「『ナバロンの嵐』や『大脱走』など、最近の洋画のヒット作を見ても分かるように、魅力あるスターを混えての集団の活躍が多くのファンに喝采を浴びている。東映時代劇は、この集団の魅力に数字のインネンを加えて新しく“数字シリーズ”製作を決定した」と答えており、「集団もの路線」を時代劇に限ったわけではなく、当時の映画界の趨勢を受け、東映全体で取り入れた「集団もの」の一つとして時代劇が位置づけられたとみられている。上述『映画時報』では、「集団映画路線」の「準備中の作品」として『十三人の刺客』(片岡千恵蔵主演)『十一人の賊軍』(松方弘樹主演)『九人の反逆児』(山本周五郎原作、『砦山の十七日』より)『二十一人の眼』(里見浩太朗主演)『三十七の足跡』(松方弘樹主演)が発表されている(これらのうち製作に至らなかったものもあり、また上述のように時代劇映画でないものも含まれているとみられる)。 本作『十七人の忍者』公開後の1964年8月に映画『集団奉行所破り』が公開された。「集団」という語をタイトルに初めて使用した東映時代劇とみられており、命名者は当時の東映京都撮影所所長・岡田茂とされている。少なくともこの頃には、東映自身が「集団時代劇」というジャンルを明確にしていたものとみられる。 岡田茂は1964年2月、東京撮影所を再建した功績を買われ、大川博社長から京都撮影所の合理化と時代劇改革の指揮権移譲を受けて、京都の所長に復帰していた。岡田は東京撮影所で成功させた若手による撮影所改革を京都でも目指し、企画部を所長直属にして全権を自ら負い、本路線を含む新感覚の時代劇を多く作らせた。やがて京都のすべての企画の決定権を握った。 当時、時代劇映画は退潮の一途をたどっており、岡田は東京撮影所長時代から「東映京都の時代劇はもうダメだろう」と考えていたが、このときはまだ時代劇復活の望みを持っており、リストラ対策に呼応して、1人のスターに頼らない「集団劇」を一つの方針としていた。 『十七人の忍者』以降、「サスペンスフルな集団忍者アクションが面白い」という風潮が撮影所内に広がり、岡田茂は「企画書なんて出さなくてもエエから、いい考えがあったら口で言え!」と企画部員に伝え、京都撮影所では忍者ものを中心とした「集団時代劇」が大量に生産されるようになった。『十七人の忍者』同様渡邊達人の指揮(ノンクレジット)による1963年公開の『十三人の刺客』は興行的に失敗に終わったものの、「集団時代劇の白眉」との評価を受け、「集団時代劇」はシリーズ化された。ただし興行的に突出した成功を収めた作品はなく、時代劇映画の頽勢は挽回できぬ状況になった。 岡田は「集団時代劇」と並行して「任侠路線」を始めることを決めてその準備に着手する一方で、「集団抗争時代劇」路線を継続させていたが、開始後の任侠路線が大当たりを続けたことで全面切り換えを決意し、「集団時代劇」を含む時代劇映画の製作を終了させ、時代劇作品はテレビでの制作に移行させた。任侠映画が時代劇にとって代わる東映映画の主流となり、やがて日本映画の看板になっていった。
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