胎動期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:46 UTC 版)
推論が純粋に機械的な過程によって表せるという発想は、同心環の体系によって結論を導くという(幾分風変わりな)方法を提案したライムンドゥス・ルルスに早くも見出される。オックスフォード計算家と呼ばれる論理学者たちの作品によって、言葉で論理的計算(羅:calculationes)を書き下ろす代わりに省略して文字を使う方法が作られ、例えばヴェネツィアのパウルスの『大論理学』(羅:Logica magna)で使われた。ライムンドゥス・ルルスから300年の後に、あらゆる論理学・推論は加法と減法という数学的作業に還元できるとイギリスの哲学者・論理学者のトマス・ホッブズが主張した。同じ発想はライプニッツの著書にも見出されるが、彼はライムンドゥス・ルルスとホッブズの著作を読んでいて、論理は組み合わせ処理あるいは計算によって表せると主張した。しかし、ライムンドゥス・ルルスおよびホッブズと同様に、彼も詳細で包括的な体系を構築するのには失敗しており、この話題に関する彼の著作は死後長い間公刊されなかった。通常言語は「無数の曖昧なもの」に従わなければならず計算には適さない、というのも計算の役目は推論において語の形式・構造から生まれる誤りを暴き出すことだからである、とライプニッツは言う; それゆえ、彼は複雑な概念を表現するために構成され得る基本的な概念をすべて含む人間の思考のいろはを見極めることと、「私たちが一目で誤りを発見できるように、そして人々が論争を行っているときにただ『計算してみよう』とだけ言うために、数学者がやるのと同じだけ確実に」推論を行う「推論計算機」を作ることとを提唱した。 ジェルゴンヌ(1816年)は、推論はそれに対して完全に明確な観念を持っているところの対象に関するものである必要はない、というのは代数的な操作はそこで使われた記号の意味の観念を有さずとも実行できるからだと述べた。ボルツァーノは変数の用語において論理的帰結つまり「演繹可能性」の定義を行う際に現代の証明論の基本的な観念を予想した: i, j, ...という変数があるとき、命題の集合a, b, c ...が真になるような任意の値をi, j, ...に代入したとき同時に命題n, o, p ...も真になるならn, o, p ...は a, b, c ... から演繹できる。これは今日では意味論的妥当性として知られている。
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