胎安神社と子安神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 14:57 UTC 版)
「愛宕神社 (笠間市)」の記事における「胎安神社と子安神社」の解説
胎安神社(かすみがうら市西野寺433番地) 子安神社(かすみがうら市東野寺252番地) 新編常陸国誌の別説では、夷針を「ひらばり」と訓じるとした場合は「武比鳥命(古事記)を武夷鳥命ともかくにて思ふべし、夷をひらとよむは、平らげる意より出でたるべし、中世に荒張郷と云ふも、この郷のことか、あらは濁音ばらなり、ひらの濁音びらなり、はひふへほにて通音なり、さらば荒張(今新治)、土田、野寺、三村、四千余石の地、古の夷針郷なるべし」とし、「夷針(ひらばり)郷」が中世の「荒張(あらばり)郷」に変化したのではないかとしている。 夷針神社については、「野寺に胎安大明神、子易大明神両社あり、相殿の社と見えたり、これ古の夷針神社なるべし」としている。ただし、新編常陸国誌以外の地誌等(大日本地名辞書、新治郡郷土史、茨城県神社写真帳)には、この2社を式内論社とする記述はない。 かすみがうら市大字新治は、常陸国風土記以来の地名である「新治郡」と同様、「にいはり」と読む。新編常陸国誌では「仁比婆留」(にいばる)と訓が振られている。一方、荒張川の項には「荒張川(阿良波利賀波) 古は茨城郡の内なり、今新治郡に属す、俗或は新治川に作りて、となへは上に同じ」「新治村は古の荒張村なり、故に以て川の名とす」とある。つまり新治村は、古くは荒張村であり、ここから荒張(あらばり)川の名称が生じ、これを新治川とも表記したという。この説によれば、「にいはり」の読みは「新治」の表記に引っ張られて後世成立したものである。ちなみに、荒張川は名称が変わり、現在は「天(てん)の川」と呼ばれている。
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