夷針神社(東茨城郡茨城町大戸1768番地)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 14:57 UTC 版)
「愛宕神社 (笠間市)」の記事における「夷針神社(東茨城郡茨城町大戸1768番地)」の解説
新編常陸国誌の夷針神社の項に「水戸城南大戸村にありと云は、後人の妄説なれば信じがたし」とある。大日本地名辞書によれば、この説は長久保赤水の「常陸考」が出所である。
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夷針神社
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「愛宕神社 (笠間市)」の記事における「夷針神社」の解説
夷針神社(東茨城郡茨城町大戸1768番地) 新編常陸国誌の夷針神社の項に「水戸城南大戸村にありと云は、後人の妄説なれば信じがたし」とある。大日本地名辞書によれば、この説は長久保赤水の「常陸考」が出所である。 社伝では、元は奥津彦神と奥津姫神(一名を大戸比賣命という)の二座を祀る夷針神社だったという。ここに応永33年(1426年)、水戸市武隈町(旧町名は竹隈町、現在の水戸市東台及び柳町)にあった武熊神を合祀した。近世は、元禄年間の水戸藩の調査に基づく「鎮守帳」では祭神は武熊神一座とされ、新編常陸国誌の大戸の項には「武隈明神」として記載されるなど、もっぱら武熊神を祀る神社として認識されていた。このため夷針神社の論社としては信じがたいとされていた。社地は往古の那珂郡八部郷に属したともいう。 大戸という地名は建保3年(1216年)の吉田文書に既に見える(大日本地名辞書)。 奥津彦神と奥津姫神の二座は、愛宕山の飯綱神社が夷針神社を称していた時代の祭神である。 参道に国の天然記念物「大戸のサクラ」がある。
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