式内夷針神社について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 14:57 UTC 版)
「愛宕神社 (笠間市)」の記事における「式内夷針神社について」の解説
飯綱神社は、延喜式神名帳の常陸国茨城郡小三座の一社「夷針神社」の論社である。戦前は夷針神社を称していたが、戦後に飯綱神社の旧称に復したという経緯がある。 式内夷針神社は、常陸国茨城郡小三座の筆頭に記載されている神社であるが、所在が忘れ去られてしまい、今日比定社として有力視される神社がない。そのため常陸国二十八座としては論社が多い。同じく「夷針」の名を冠する和名類聚抄(和名抄)の「夷針郷」の郷域も不明であり、その読み方や字義も含めて、様々な考察がある。 延喜式の校訂本の傍訓には「伊波利」(いはり)と「湏以波利」(すいはり)があり、今は「比奈波利」(ひなはり)又は「以波利」(いはり)と読むという証言を付しているものがある。 新編常陸国誌は「伊志美」(いしみ)と「ひらばり」の傍訓を挙げている。また考察として本説、別説、本書一説の三説を併記している。 大日本地名辞書は「伊自牟」(いじむ、いじん)と傍訓している。これは夷灊郷(夷隅郷)の古名(夷隅郡を参照)を参照した読み方である。また独自の考察を行なっている。 一般には東茨城郡茨城町大戸の夷針神社の読み方に従い、「いはり」と読むことが多いようである。 新編常陸国誌は、式内夷針神社の論社として以下の社寺を挙げている。
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