式内社の比定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/15 01:28 UTC 版)
上掲『明細書』に旧称「意悲神社」であったとの伝えを記すが、当神社を式内意悲神社に比定したのは出口延経の『神名帳考証』が嚆矢で、神社の東を流れる川が『延喜大神宮式』に見える「下樋小川(したひのおがわ)」であるといい(参宮使は下樋小川から先、駅鈴を鳴らすことを禁じられた)、「樋」と「悲」が音通するからであるというのがその論拠である。一方御巫清直は『伊勢式内神社撿録』において私案にすぎないと断りながらも、「下樋小川」は鎮座地の東ではなく、西北に隔たる垣鼻村(現垣鼻町)の西を流れる愛宕川のことで、「意悲ニ下樋ノ関係スヘキニアラス」とこの論拠を斥け、伊勢国の6郡(飯高と桑名・河曲・鈴鹿・安濃・壱志の5郡)に設けられた神戸(六カ所神戸)のそれぞれにおいて政務を司る神館が設置され、その正倉に「神館社」と称して伊勢神宮の神霊を奉斎したが、飯高の神館が即ち当神社であるとし、、祭神の中に飯高県造の祖である乙加豆知命が見えることから、当神社が飯高神戸の鎮守であり、「式社ニ列シテハ国津社トイフナルヘシ」と、同じく式内社の「久尓都神社」に比定する一方、「意悲神社」は現松阪神社に比定している。
※この「式内社の比定」の解説は、「神戸神館神明社」の解説の一部です。
「式内社の比定」を含む「神戸神館神明社」の記事については、「神戸神館神明社」の概要を参照ください。
式内社の比定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 03:29 UTC 版)
式内社「豊後国大分郡 西寒多神社」の論社としては、他に西寒田神社(大分県臼杵市)がある。『豊後国志』『太宰管内志』では、そちらが本祠であるとし、応永15年(1408年)3月に大友親世が現在地に遷座したと伝えている。一方、大分郡の郡域や本宮山伝承から、こちらが本祠であろうとする見方が強い。
※この「式内社の比定」の解説は、「西寒多神社」の解説の一部です。
「式内社の比定」を含む「西寒多神社」の記事については、「西寒多神社」の概要を参照ください。
- 式内社の比定のページへのリンク