式内社「小野神社」の歴史
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「小野神社 (多摩市)」の記事における「式内社「小野神社」の歴史」の解説
中世には近在に武蔵国府が存在し、武蔵国一宮であった。武州六大明神の一つとされ、これらを祀る武蔵国総社の大國魂神社(六所宮)には「一宮」として祀られている。 「小野社」の名が初めて見られる史料として宝亀3年(772年)に作成された太政官符があげられ、「多磨郡□野社(多磨郡小野社を指すと思われる)」の記述がある。 『日本三代実録』では元慶8年(884年)7月15日、従五位上から正五位上に昇格との記載がある。また、10世紀前半に成立した『延喜式神名帳』では小社として式内社に列している。 『吾妻鏡』の治承5年(1181年)4月の記事に『是以武藏國多西郡内吉富并一宮蓮光寺等』とあり「蓮光寺」(多摩市連光寺付近)と共に「一宮」(多摩市一ノ宮付近)の名が記述されており、「一宮」と「蓮光寺」を含めた形で「吉富」(京王線百草園駅 - 中河原駅の一帯)と記述している。 このほか、南北朝期の『神道集』には、小野神社が一宮として記載されている。
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