テレビ界へ
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1962年(昭和37年)、「よろめきドラマ」(現在の不倫ドラマ)には欠かせない存在として人気を集め、「日本放送作家協会女性演技者賞」を受賞。お嫁さんにしたい女優でも上位にランクインし、人気・演技力ともテレビ女優ナンバー1の地位を確立した。中でも『女と味噌汁』シリーズは毎回高視聴率を誇り、代表作となった。 1966年(昭和41年)3月、「第8回マルデルプラタ映画祭」出席のため、南米アルゼンチンを訪問。 1974年(昭和49年)、日本テレビとテレビドラマ出演のための専属契約を結ぶ(特例条件としてTBS『東芝日曜劇場』と映画の出演は可)。この契約は1980年(昭和55年)まで続いた。 2002年(平成14年)、紫綬褒章を受章。 2007年(平成19年)4月、舞台『三婆(さんばば)』の地方公演中に胸の違和感を訴えて検査入院した処、間質性肺炎、胸水貯留、肺腫瘍の診断が下され、約3か月の安静加療が必要となった。そのため、同年5月25日から予定されていた『怪談牡丹燈籠』の全国公演の降板を発表(代役は水谷八重子)。同年6月に一旦退院、8月中旬からは民放の単発ドラマで仕事復帰していた。 2008年(平成20年)4月、春の叙勲での旭日小綬章授与が日本政府より伝達された。2009年11月、天皇陛下御在位二十年記念式典に出席した。同式典において、上皇明仁と上皇后美智子が関心を持つ分野の代表者の一人として、池内が紹介された。 2010年(平成22年)5月16日まで、名古屋の中日劇場で舞台『三婆』に出演していたが、その後再入院。約4ヶ月後の同年9月26日午後4時21分、肺腺癌のため東京都内の病院で死去。76歳没。テレビドラマの遺作は同年1月11日にTBSテレビで放送された『Wの悲劇』。同年5月、入院前に出演した舞台『三婆』が池内にとって生涯最後の出演作となった。
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