テレビ生CMの沿革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 07:46 UTC 版)
「生コマーシャル」の記事における「テレビ生CMの沿革」の解説
日本の民間テレビ放送開始当初は、前述の通り収録素材によるCMを送出しにくい事情があった。特に映像記録手段がフィルムしかなかった時代では、テレビカメラの映像信号を直接放送した方が、フィルムのテレシネ送出よりコマ数が細かく、画質も鮮明であり、宣伝のために好都合だったという事情があった。 この時代の代表的な形式として、番組本編中断時に、その番組の出演者にそのままCMを演じさせる、という構成があった。広く知られ、文献に残る例として、舞台コメディの生中継番組『のり平のテレビ千一夜』(早川電機)、生テレビドラマ『日真名氏飛び出す』(三共) の事例がある。特に後者は、登場人物が毎回のシーン中にスポンサー企業の商品を必ず用いるというプロダクトプレイスメントの手法であった。当時は番組1本につき1社のスポンサーがつく一社提供番組が主流だったことや、のちの時代ほどステーションブレイク(番組終了から次の番組開始までの時間)に多くの時間を取らず、スポットCMを詰めていなかったことが、この演出形式を容易にした。 番組出演者を用いなかった初期の例として、日本テレビの『日本プロレス中継』では、試合間のインターバルで、スタッフが掃除機を使用してリング上を清掃しているさまを撮影し、実況アナウンサーが三菱電機の商品であることを宣伝するというものがあった。 民放テレビ4年目の1956年頃から、とりわけ家電製品メーカー企業において、生コマーシャルのための専属タレントが固定で用いられる例がみられるようになった。東京芝浦電気の旗和子、三洋電機の林ひな子がその草分けとされ、翌年には松下電器産業の泉大助が人気を博した。このほか、日本教育テレビのアナウンサーから東芝専属に転身した押阪忍、同じくNHKアナウンサーから日立製作所専属となった高橋圭三などが挙げられる。 やがて、生コマーシャルは主として『小川宏ショー』『3時のあなた』など、番組本編も生放送であるワイドショーなどで行われる程度となっていった。また、VTRの普及にともない、生コマーシャルの構成をそのまま生かして収録した「ビデオコマーシャル」と呼ばれる手法と生コマーシャルとを併用するようになった。
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