日本のCMの歴史とは? わかりやすく解説

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日本のCMの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 09:21 UTC 版)

コマーシャルメッセージ」の記事における「日本のCMの歴史」の解説

日本は、ラジオ放送開始際し逓信省省議決定放送用私設無線電話ニ関スル議案」によって、あらかじめ広告放送禁止されたほか、1920年代黎明期から1951年まで、民間企業でなく、公共事業体であるNHKによる運営のみ認可され、そのNHK聴取収入によって運営されていた事情もあり、ラジオCM試みられことはなかった。 なお、第二次世界大戦終結まで日本の統治下にあり、別組織台湾放送協会ラジオ放送独占していた台湾では、1932年6月14日または15日から数か月間、演芸番組制作費調達するため、試験的に間接広告放送」を実施したことがある。これは放送本編別にCMを製作せず番組冒頭および終了時スポンサー名をアナウンスするという形であった考えられている。スポンサー第一号は丸美屋食料品研究所または味の素本舗だったとされている。実施後まもなく、広告メディアとしての競合危惧した日本新聞協会6月27日広告放送反対決議した上で当時の拓務大臣通じて広告放送中止台湾総督府訴えたことで、台湾放送協会では7月19日新規広告契約停止年内での広告放送中止決定されて、「間接広告放送」の放送12月2日最後となったまた、日本政財界影響にあった満州国満洲電信電話でも、1936年11月1日から約3年半にわたって日本語および満語での広告放送実施された。このときは台湾実施された「間接広告」に加え、「直接広告」と呼ばれるアナウンサー広告コピー読み上げる生コマーシャル形式でも行われた。この「直接広告」は、番組本編中断する形でなく、広告まとめて放送するための専用番組枠設けて実施だった。1940年4月日中戦争激化にともなう経済統制のため、広告で扱う品目大幅に制限され、やがて放送自粛いたった。この満洲電信電話放送広告たずさわった人材多く戦後引き揚げ後新興民間放送局広告代理店移りCM契約および制作に関するノウハウ伝えた考えられている。 民間放送開始日、1951年9月1日には、スポンサー広告関わるさまざまな日本本土)初が続いた上記かんがみ広告主の名称を読み上げるアナウンス広義CM含んだ場合最初にアナウンスされスポンサー中部日本放送開局アナウンス25分後の6時55分から放送した服飾講座」における、毛織物店「五金洋品」である。音声記録残っていない(CBCは、五金洋品は「提供のみで、コマーシャルは流さなかった」としている)が、当然、提供スポンサーを示すアナウンス行ったはずであり、民間放送における公表スポンサー第一号ではある。CBCラジオは、同日の朝7時には精工舎によるスポンサー付き時報第一放送行っている。時計リズミカルな音による予報音に続き通知とともに精工舎時計が、ただ今7時お知らせしました」と報ずるのであるCBCでは、この時報を「コマーシャル第1号」としている)。同日正午には、開局アナウンス行ったばかりの新日本放送でも精工舎時報放送された。 最初に放送されスポットCMは、同日12時15分過ぎに新日本放送CBC同様、開局日である)で60秒放送された「スモカ歯磨」のラジオCMとされる。このCMは、ほかのCM単なる広告コピー読み上げであったのに比べドラマ仕立て演出がされていて耳を引いたとされ、まとまった作品としてのCM認められることから第一号とみなされている。 日本最初の(放送における)コマーシャルソングは、同年9月7日CBCラジオ初放送された小西六CMにおける『ボクはアマチュア・カメラマン』である(異説もある。コマーシャルソング#歴史参照)。 日本最初テレビCM日本テレビ開局日・1953年8月28日正午直前放映された、精工舎時報CMである。これはあらかじめフィルム録画したアニメーション実写組み合わせによるCMであったが、スタッフ放送機材操作慣れていなかったため、フィルム裏返しにした状態で放送してしまった。このため時計画像左右逆、かつフィルム場合映像左側に音を再生するためのサウンドトラックがあり、フィルム逆向きになると音が再生されなかったので、音なしの状態で放送された(時報音はフィルムと関係なく挿入されたため正確に出た)。3秒ほどで放送中止となったという定説長く信じられたが、当時関係者の証言によりそのまま30秒放送されたことが明らかになった。同日19時の時報無事に放映された。この19時の時報CM現存する日本最古テレビCM映像であり、インターネット公開されている。 テレビ普及期に至る間に、広告主専属出演者用いたCM主流になった時期生コマーシャル#テレビ生CMの沿革参照)を経て1970年代始め頃には、俳優・歌手などの別に本業を持つ芸能人によるCM出演歴が、人気度合い測る指標になるという認識業界内外なされるようになり、『週刊現代1972年2月3日号の記事では「CM出演が、タレントのもっとも有利な副業であることは、いまや常識と書かれるに至った。やがて、ニホンモニターの「タレントCM起用社数ランキング」、ビデオリサーチの「タレントテレビCM出稿上位10人」といった、調査会社による人物単位CM露出に関するデータ一般公表されるようになった。 以下、新技術採用され記念碑的CMについては「技術」節で述べる。

※この「日本のCMの歴史」の解説は、「コマーシャルメッセージ」の解説の一部です。
「日本のCMの歴史」を含む「コマーシャルメッセージ」の記事については、「コマーシャルメッセージ」の概要を参照ください。

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