日本のCMの歴史
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「コマーシャルメッセージ」の記事における「日本のCMの歴史」の解説
日本は、ラジオ放送の開始に際し、逓信省の省議決定「放送用私設無線電話ニ関スル議案」によって、あらかじめ広告放送を禁止されたほか、1920年代の黎明期から1951年まで、民間企業でなく、公共事業体であるNHKによる運営のみ認可され、そのNHKが聴取料収入によって運営されていた事情もあり、ラジオCMが試みられたことはなかった。 なお、第二次世界大戦終結まで日本の統治下にあり、別組織の台湾放送協会がラジオ放送を独占していた台湾では、1932年6月14日または15日から数か月間、演芸番組の制作費を調達するため、試験的に「間接広告放送」を実施したことがある。これは放送本編と別にCMを製作せず、番組冒頭および終了時にスポンサー名をアナウンスするという形であったと考えられている。スポンサー第一号は丸美屋食料品研究所または味の素本舗だったとされている。実施後まもなく、広告メディアとしての競合を危惧した日本新聞協会が6月27日に広告放送反対を決議した上で、当時の拓務大臣を通じて広告放送の中止を台湾総督府へ訴えたことで、台湾放送協会では7月19日に新規広告契約の停止と年内での広告放送中止が決定されて、「間接広告放送」の放送は12月2日が最後となった。 また、日本の政財界の影響下にあった満州国の満洲電信電話でも、1936年11月1日から約3年半にわたって、日本語および満語での広告放送が実施された。このときは台湾で実施された「間接広告」に加え、「直接広告」と呼ばれる、アナウンサーが広告コピーを読み上げる生コマーシャルの形式でも行われた。この「直接広告」は、番組本編を中断する形でなく、広告をまとめて放送するための専用の番組枠を設けての実施だった。1940年4月、日中戦争の激化にともなう経済統制のため、広告で扱う品目が大幅に制限され、やがて放送の自粛にいたった。この満洲電信電話で放送広告にたずさわった人材の多くが戦後の引き揚げ後、新興の民間放送局や広告代理店に移り、CMの契約および制作に関するノウハウを伝えたと考えられている。 民間放送の開始日、1951年9月1日には、スポンサー・広告に関わるさまざまな日本(本土)初が続いた。上記にかんがみ、広告主の名称を読み上げるアナウンスを広義のCMに含んだ場合、最初にアナウンスされたスポンサーは中部日本放送が開局アナウンス25分後の6時55分から放送した「服飾講座」における、毛織物店「五金洋品」である。音声記録は残っていない(CBCは、五金洋品は「提供のみで、コマーシャルは流さなかった」としている)が、当然、提供スポンサーを示すアナウンスを行ったはずであり、民間放送における公表スポンサー第一号ではある。CBCラジオは、同日の朝7時には精工舎によるスポンサー付き時報の第一号放送も行っている。時計のリズミカルな音による予報音に続き通知音とともに「精工舎の時計が、ただ今、7時をお知らせしました」と報ずるものである(CBCでは、この時報を「コマーシャル第1号」としている)。同日正午には、開局アナウンスを行ったばかりの新日本放送でも精工舎の時報が放送された。 最初に放送されたスポットCMは、同日の12時15分過ぎに新日本放送(CBC同様、開局日である)で60秒間放送された「スモカ歯磨」のラジオCMとされる。このCMは、ほかのCMが単なる広告コピーの読み上げであったのに比べ、ドラマ仕立ての演出がされていて耳を引いたとされ、まとまった作品としてのCMと認められることから第一号とみなされている。 日本最初の(放送における)コマーシャルソングは、同年9月7日にCBCラジオで初放送された小西六のCMにおける『ボクはアマチュア・カメラマン』である(異説もある。コマーシャルソング#歴史を参照)。 日本最初のテレビCMは日本テレビの開局日・1953年8月28日正午直前に放映された、精工舎の時報CMである。これはあらかじめフィルムに録画したアニメーションと実写の組み合わせによるCMであったが、スタッフが放送機材の操作に慣れていなかったため、フィルムを裏返しにした状態で放送してしまった。このため時計の画像は左右逆、かつフィルムの場合、映像の左側に音を再生するためのサウンドトラックがあり、フィルムが逆向きになると音が再生されなかったので、音なしの状態で放送された(時報音はフィルムと関係なく挿入されたため正確に出た)。3秒ほどで放送中止となったという定説が長く信じられたが、当時の関係者の証言によりそのまま30秒間放送されたことが明らかになった。同日19時の時報は無事に放映された。この19時の時報CMは現存する日本最古のテレビCM映像であり、インターネットで公開されている。 テレビ普及期に至る間に、広告主の専属出演者を用いたCMが主流になった時期(生コマーシャル#テレビ生CMの沿革参照)を経て、1970年代の始め頃には、俳優・歌手などの別に本業を持つ芸能人によるCM出演歴が、人気の度合いを測る指標になるという認識が業界内外でなされるようになり、『週刊現代』1972年2月3日号の記事では「CM出演が、タレントのもっとも有利な副業であることは、いまや常識」と書かれるに至った。やがて、ニホンモニターの「タレントCM起用社数ランキング」、ビデオリサーチの「タレント別テレビCM出稿量上位10人」といった、調査会社による人物単位のCM露出量に関するデータが一般公表されるようになった。 以下、新技術が採用された記念碑的CMについては「技術」節で述べる。
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