テレビ界への転身
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1971年(昭和46年)11月、老舗であり大手五社の一社であった日活が成人映画路線に全面的に舵を切り、「日活ロマンポルノ」(1971年 - 1988年)を開始するが、伊海田(二階堂)は、これに出演することはなかった。1972年(昭和42年)3月に公開された『脱がせて脱がせて大勝負』(監督山本晋也)に「二階堂浩」名義で出演して以降、成人映画の世界を去る。同年2月13日に放映された『シルバー仮面ジャイアント』第12話『恐怖のサソリンガ』や第19話『逆転 シルバー旋風斬り』、同年10月8日に放映を開始した『アイアンキング』にゲスト出演したり、後者では次回予告のナレーションをレギュラーで行うようになり、再び宣弘社のテレビドラマに関わるようになっていく。同年9月に発行された『週刊平凡』第14巻第37号には、その転身ぶりについて「伊海田弘氏のみごとな変身生活」と記事を書かれた。1974年(昭和49年)10月7日に放映を開始した『スーパーロボット マッハバロン』では、敵の首領である「ゲオルク・ララーシュタイン」役でのレギュラー出演を勝ち取る。 声優事務所である河の会に一時期所属していた事があり、俳優活動と並行して声優としても活躍していた。声種はハイバリトン。趣味・特技は読経、新潟弁。 1997年(平成9年)10月24日、死去した。満66歳没。 2013年(平成25年)11月9日に行われた「こちら特撮情報局 開局10周年記念コンテンツ バロンシリーズスタッフ・キャスト座談会」での下塚誠の話によると、当時旅行代理店を経営していた伊海田本人から「下塚君、もし旅行へ行くんだったらうちに注文くれる?」と声を掛けられた事があったという。同座談会でマッハバロンのメイン監督を務めた鈴木清によると、ララーシュタインの瞳をゴールドにするためカラーコンタクトを入れると目が見えない状態になっていたという。またその際当時の日本現代企画の小林哲也社長と伊海田とは仲が良く、凄く気を遣っていたそうで「万が一伊海田さんの目に障害が出たらお前、どうするんだ!」と脅かされながら医者の立ち会いの下で5分間限定で(眼球に傷をつけるので5分以上はコンタクトを入れてはいけない、と医者に言われていたという)撮影をしたと語っている。伊海田自身も最初はカラーコンタクトの使用を怖がっていたという。またカラーコンタクトとララーシュタインの撮影だけはこだわりを持っていたため、結構予算を使ったとも語っている。
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