五日市鉄道と南武鉄道の建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 16:17 UTC 版)
「浅野セメント」の記事における「五日市鉄道と南武鉄道の建設」の解説
浅野セメントは、西多摩郡大久野村の勝峰山(五日市町の近傍)に新たな石灰石採掘場を予定したが、そこから石灰石を川崎工場に輸送するために鉄道を敷設する必要が生じた。それで、輸送ルートの路線免許を所有する五日市鉄道を支配しようと、1922年(大正11年)12月に浅野泰治郎が取締役に就任して、1924年(大正13年)5月までに5145株(発行株式二万株)を取得し、同年6月には金子喜代太(浅野セメント取締役)も取締役に就任した。 さらに、五日市鉄道と接続して川崎工場まで石灰石を輸送するルートの路線免許を所有する南武鉄道の取締役に、浅野泰治郎と金子喜代太が1923年(大正12年)7月に就任した。浅野・金子・鈴木紋次郎・宮地茂秋の四人の浅野財閥関係者の持株は同年9月には二万株中8000株(四割)に達した。
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