土地確保表明で学部対立が表面化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 09:01 UTC 版)
「筑波移転反対闘争」の記事における「土地確保表明で学部対立が表面化」の解説
1967年6月10日、評議会は、筑波に土地確保を希望することを文部省に表明することを決定したが、文学部評議員はこれに反対して退席した。大学としての意思決定をめぐっての、学長=移転推進派と、文学部教授会=移転慎重派の、決定的な亀裂になった。従来は、評議会での決定は全会一致で行われていたが、この決定は文学部教授会選出評議員の反対を押し切っての異例の多数決決定になった。 学生は、6月14日に約400人が「6.10評議会決定白紙撤回」を要求して本館前集会を開き、15日まで授業放棄を続けた。さらに、6月19日には文学部学生大会が「6.10評議会決定白紙撤回」を要求して20日から3日間のストライキを決定し、ピケットストライキに突入し、以後4波まで26日間のストライキを続行した。 他の学部でも、7月4日に理学部学生大会が「6.10評議会決定白紙撤回」を要求してストライキに突入、7月5日に教育学部学生大会が「6.10評議会決定白紙撤回」を要求してストライキに突入、7月11日に農学部学生大会が「6.10評議会決定白紙撤回」を要求してストライキに突入と、体育学部を除く全学に抗議ストライキが波及した。これらのストライキの背景には、「移転反対」よりは、移転推進派が従来の全会一致原則を破っての強行採決をしたことへの抗議も含まれていたと考えられる。 しかし、学生らの抗議活動は夏休み中に雲散霧消し、夏休み以降に継続することはなかった。夏休み後に開かれた学生大会は定足数に満たなかったので、ストライキなどを決めることができなかった。
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