合併の破談
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/12 09:34 UTC 版)
2000年(平成12年)2月末にまとまった、1対1の合併比率、勘定系システムを荘内銀側に合わせることが殖産銀側の反発を産み、3月10日には同行従業員組合が合併の白紙撤回を表明。また、同行管理職親睦団体「尚清会」にも、徐々に合併の白紙撤回を求める意見が多くなり、さらには元役員の一部、OBにも反対の声が水面下で広がり始めた。 最終的には、システム統合による口座番号の変更問題が直接の引金となり、殖産銀側が合併の白紙撤回を申し入れ、荘内銀側も「無理強いできない」と撤回を了承した。
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