合併経緯
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2000年10月30日、青森県が『青森県市町村合併推進要綱』を制定した。それによると、「弘前市、黒石市、中津軽郡岩木町・相馬村・西目屋村、南津軽郡藤崎町・大鰐町・尾上町・浪岡町・平賀町・常盤村・田舎館村・碇ヶ関村、北津軽郡板柳町」の14市町村の組合せが示された。 旧浪岡町中心部は、青森市中心部と弘前市中心部のほぼ中間に位置している。都市雇用圏(10%通勤圏)の基準では、青森都市圏に含まれていた。平成の大合併の枠組みでは、青森都市圏の枠組みに従って中核市移行を目指す青森市と合併する方向となったが、その対応を巡り、町長に対するリコール運動が起こる。 2004年10月26日、青森市・浪岡町両議会で合併関連議案が可決。浪岡町議会は、議員20人中、議長と退席した1議員を除く18人で起立採決し、賛成12、反対6で可決。 2004年10月30日、加藤町長に対するリコールの本請求がなされる。町長のリコール住民投票を10日後に控えた2004年12月16日、リコール投票の結果が出るまで合併議決を延期するように鹿内博県議などが三村申吾知事に求めたが、青森県議会は合併議案を可決し、青森市と浪岡町との合併が事実上決定した。 2004年12月26日の住民投票によってリコールが成立。2005年2月13日実施の町長選挙で、合併に反対する候補が当選したことにより、分離する動きが見られたが、既に合併に関する総務省告示が『官報』に掲載(2005年1月18日)された後であり、合併の取り消しは不可能であった。2005年3月27日、青森市との合併の是非を問う住民投票が実施され、合併反対が合併賛成を大きく上回ったが、住民投票に法的拘束力はなく、2005年4月1日に青森市と合併した。2006年10月1日、新しい青森市は中核市に移行した。 なお、2007年9月1日 に旧浪岡町のうち、増館若柳、増館宮元、郷山前山井、吉野田吉野が藤崎町に編入されている。
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合併経緯
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合併パターン 女満別町、東藻琴村はどちらも網走市が主導する枠組み(網走市・女満別町・東藻琴村・小清水町・清里町・斜里町)での合併と、美幌町が主導する枠組み(美幌町・津別町・女満別町・東藻琴村)の2パターンでの合併を求められた。どちらのパターンとも署名数は多かった。 ところが、女満別・東藻琴ともに町議会で両方のパターンでの枠組みを否決し、網走市および美幌町を含めた形で一本化した形とすべきの結論に至り、その後も女満別が「美幌町が主導する枠組みに網走を加えた枠組み」と「美幌町が主導する枠組みに網走と常呂を加えた枠組み」も唱えたが、美幌町及び常呂町は反対した。 また、女満別空港があると言う理由で北見市との協議入りの要請も、北見市からあったが、受け入れなかった。 結局、女満別町および東藻琴村との対等合併という形が望ましいと言う結論になっている。美幌町の途中参加要請も振り切り、合併している。 新町名 町名は住民からの公募に基づいて決定されたもので、網走管内南部の空の玄関である女満別空港があることに因む。「大空町」という名称は、澄み切った大空、そしてその大空の下に広がる実り豊かな大地のもとで、住民が夢や希望を持ち、晴れ晴れした気持ちで暮らしていくことを目指すという意味で命名された。また、帯広市大空町が網走管内に大空町が誕生することを歓迎した。このことから、大空町と帯広市大空町の交流もあるなど、地域とのつながりが生まれている。[要出典] 合併直後はカントリーサインが制定されていなかったが、新たなデザインの物が2007年(平成19年)4月に町サイトにて発表された。
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