3行合併構想発表までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/12 09:31 UTC 版)
「平成銀行」の記事における「3行合併構想発表までの経緯」の解説
1994年当時、第二地方銀行界においては3行とも中堅行であったが、景気の後退や金融の自由化の進展に伴い、北日本銀・殖産銀は、単独での生き残りは厳しいと判断していたほか、德陽シティ銀は1979年(昭和54年)に発覚した100億円を超える裏保証、不正経理問題や、その後の不動産向け融資等の不良債権化により、1993年(平成5年)3月期まで2期連続して赤字を計上。かつては東北最大の相互銀行であったが、凋落に歯止めのかからない状況となっていた。 このような中において、県域を超える大規模プロジェクトが多い東北において、合併により広域展開を図った上で、営業基盤の拡大や効率化をはかることに合併の主眼がおかれた。
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