京浜アスレチックス・首脳陣 / スタッフ / OB
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「ストッパー毒島」の記事における「京浜アスレチックス・首脳陣 / スタッフ / OB」の解説
三木 源三郎(みき げんざぶろう) 背番号80、2軍監督 → 1軍監督。 アスレチックスのリーグ2連覇時代のヘッドコーチだが、派閥争いに巻き込まれ、2軍監督に降格したまま20年以上過ごしていた。1996年シーズン途中、片平の退任後のごたごたで代行監督となり、翌年「チックくんを投手コーチにする」条件で正式に1軍監督就任。昭和一桁生まれという高齢の為かよく試合中に居眠りをしている。その際には「大毎ミサイル打線と戦う」、「稲尾和久からウェイクがタイムリーを打つ」「西本監督にヘッドロックを決める」などのありえない夢を見ていることも。また近年は毎年のように体調を崩し入院しているもよう。シーズン途中に「日本の野球向き」ということで、1億円でフランク・トーマスの獲得を目指したが失敗(金額を聞いたトーマス側は怒り狂っていたとも)。若手育成が得意で、若き日の加瀬に始まり、佐世保・三条・火野ら多くの選手の才能を見出す。 チックくん チームマスコット兼1軍投手コーチ。キツネをモチーフにしたキャラクターなのだが、名残は体色に残る程度で、イヌに間違えられたこともある。三白眼で目つきが悪い。首はアルパカのように長く、耳はウサギのように長く前に垂れ、首から下はほぼ人間と同じだがネコのような長い尻尾を持ち、腹の部分にチームカラーの緑色で「A's」のサインがある。この様に様々な動物の特徴や意匠を取り入れた結果、可愛さとはかけ離れた風貌になってしまった。その上、試合の合間に行なうやる気の感じられないダンス、マスコットにあるまじき無愛想ぶりにより、サイン会に誰も集まらないほど不人気のため、チーム売却が成立した際には別のマスコットへと交代させられる可能性もあった。 マスコットとしては全く役に立っていないが、中の人は野球に関する知識が深く、斉木にサイドスロー転向を勧め、毒島に投球フォームの修正などを施す。また、マスコットでは異例だが自らの声で話す。淡々とした喋り口で、常に冷静だがお茶目な一面も持ち合わせている。熱心且つ的確な指導により毒島、斉木、ウェイクなど、投手陣や三木監督からも絶大な信頼を置かれている。あの黒田でさえも不調時には教えを乞うことも。そのため不在時には投手陣が浮き足立つこともある。さらに野手の本上や、諸事情により打席に立つこととなった毒島に打撃アドバイスを送っており、投球のみならず野球全般に精通している。「工業高校出身」ということもあって、「コントロール矯正マシーン」など練習用具を発明・作成している(ただし工業高校出身は三宅武のことであり、現在のチック君の中の人物はそれに当るかは不明)。1997年は監督を引き受けるよう依頼されるが拒否、三木の要望で着ぐるみのまま投手コーチに就任することになる。就任後は毒島にコントロール矯正や変化球習得を教え込み、ウェイク国吉をナックルボーラーとして復活させた。チームマスコットとしては史上初の退場処分(審判への侮辱行為として)を下されたこともある。 中の人は元アスレチックスのドラフト1位投手「三宅 武」ということになっているが、物語途中で三宅は既に死亡していたことが明らかになる(後述)。その後、何人か可能性のある人物の名前が出るも、特定には至らず、正体に迫った記者・金城は「触れてはいけないものに触れた」と圧力をかけられてしまう。最終回で胴上げされた際に着ぐるみの頭部が取れたが、結局正体は明らかにされず物語は完結する。毒島がちらっと見た顔は「仲代達矢を15年若くした感じ」と言われ、かなりハンサムで、兄の貴志は彼が小さい頃から正体を知っているらしい。 中村(なかむら) 1軍ヘッドコーチ。三木監督の右腕的存在で、彼の1軍監督就任に伴い2軍から昇格。三木監督が倒れた際には代行監督として指揮した。いつも三木監督の隣にいる。 山畑(やまばたけ) 背番号89。近鉄V2時代の選手だった1軍打撃コーチ。「教え魔山さん」とあだ名がつくほど仕事熱心。スランプ中の火野には「月に向かって打て」と言ったり、天秤打法まで伝授したりした。おかげで火野はノイローゼ気味に。本人も不眠症に陥る。更に火野に西本幸雄ばりの鉄拳制裁をしようとするが、火野にスパイクで蹴られ、全治1ヶ月の怪我を負う。 飯島(いいじま) 背番号85。1軍三塁守備走塁コーチ。優勝を賭けたロッテとの最終戦で毒島貴志のメジャー級の送球を知らずに、加瀬をホームに突入させてしまった。 小川(おがわ) 背番号83。1軍一塁守備走塁コーチ。遠征先ホテルでの選手のチェックや、矢島が怪我をしたときに肩を貸していたりしていた。 鬼頭(きとう) 背番号99。自称「ファームの鬼軍曹」。おそらくブルペンキャッチャーで毒島の球を倒れるまで受け続けた。 小山(こやま) 三木の後任の2軍監督。ブスジマチェンジを「今世紀最後の魔球」と言っていたが、三木監督曰く言うことが大袈裟。 安井(やすい) トレーナー。彼のマッサージは選手たちから好評。優勝争いの中で疲弊していく選手達のコンディションを誰よりも心配する。三木監督からなかなか名前を覚えてもらえない。 島田(しまだ) ロッテ担当スコアラー。ロッテのマスコットマー君のビデオをチックくんに頼まれる。 牧野(まきの) 球団職員で、駒沢フィールドの整備担当。日本最速の速球を投げる毒島が1997年シーズン終盤から球速鯖読み疑惑を取り沙汰されたことに憤慨したようであり、それを理由にスピードガンの精度に熱意を傾ける。趣味は社交ダンスで、ごくたまにチックくんの中に入り踊っている。 北島(きたじま) 役職は不明(マネージャー?)。ダイエー戦でチックくんに使い走りを頼まれる。 片平 直矢(かたひら なおや) 背番号80。1996年シーズン途中までの監督。守りの野球を提唱する生え抜きの理論派監督だが上手くいった試しがない上、自分が気に入らない選手はトレードに出すか飼い殺しにするなど、監督として不適格。毒島に対する牧の的外れな投球指導に賛同するなど投手育成も決して上手いとは言えない。趣味は陶芸で、毒島は彼のお気に入りの壷を壊したため2軍落ちとなったが、逆に毒島を救世主と言う場面もあった。神経質で胃に持病を抱えており、監督退任の直接の原因となった。監督解任後はテレビの野球解説者となっているが、キャンプを一度も見ずにアスレチックスを酷評して最下位と予想するなど、球団に恨みを持っている様子。その後ウェイクが初登板した試合に解説者として登場し、「話題作り」と批判するもウェイクは好投。最終的に胃が痛いと言ってトイレに行ったきり帰ってこなかった。現役時代は内野手。 熊谷(くまがや) 背番号79。1996年シーズンまでのヘッドコーチ。片平が退任したときに代行監督になったが、指揮した6試合は全敗。ロッテとのシーズン最終戦には伊良部秀輝にノーヒットノーランを食らい、暴走したファンにハイジャック・バックブリーカーを受け球団を去る。 木暮 武夫(こぐれ たけお) チーフスカウト → 管理部長。「風来坊スカウト」と呼ばれ、広島や西武で多くの選手を見出し、毒島や清水も彼に才能を見出された。劇中で上田利治が賞賛するほどの名スカウトだが、外様ゆえにアスレチックスでの信用はあまりなく、肝心のドラフトも思い通りに行かない様子で、四苦八苦しながら球団と交渉していた。またくじ運が悪く、西武のスカウトとして勤務していた頃にドラフト会議で竹田光訓の指名権を得るためのくじを外している。1997年からはアスレチックス管理部長に。合気道四段の腕を持ち、大柄な毒島を軽く投げ飛ばすほど。 小林(こばやし) 編成部長。外様の小暮には冷たい。毒島の指名を望む小暮に対しては「自費で毒島の給料を払えるか?」と要求し、これが影響してか1年目の毒島は年俸360万円で契約することとなった。同じ関西出身として上田利治を心の師と仰いでいる。藤田元司や古葉竹識を監督として呼ぼうとしていた。大事な会議中に落書きを描く癖がある。 赤沼 (あかぬま) 球団オーナー。毒島の入団テスト時に視察に訪れ、毒島のすっぽ抜けた剛速球が危うく当たりそうになった。球団の不人気ぶりに頭を痛め、1997年限りでの球団身売りを考えていた。有力売却先のオーナー、内田が自己のステータスしか目が無く球団の発展にまったく興味が無いことを知っても売却を本気で推し進める気で、日本シリーズ出場を果たした場合はロイヤル製菓に球団の購入額を上積みさせる目論見を持っていた。しかし最終戦を見て心変わりし、売却を中止したいとの意を表明する。 小笠原 茂男 (おがさわら しげお) 2年連続20勝をあげるアスレチックス黄金時代のエースでチームの信頼も厚く、「球界の紳士(ジェントルマン)」とも言われていた。しかし、当時他球団と比べ格段に給料が安かったことから八百長に手を染めてしまい、黒い霧事件に巻き込まれて球界から永久追放された。金城からチック君の真の正体だと疑われていたが、チック君との利き手の違いを指摘し否定、触れられたくない過去に触れたとして鉄拳を見舞った。現在は小さいながらも会社を経営しており、今でも年1・2回は球場に足を運んでいる。 大友 道郎 (おおとも みちろう) アスレチックス黄金時代のリリーフエース。毒島と同じようにパワーピッチャーでチェンジアップを決め球にしていたチーム一の理論派。小笠原同様、金城にチック君の正体と目されていた人物であり、現役時代は金城曰くふてぶてしい態度の人物。実際は火野くん人形の中の人で、数年前に勤めていた証券会社を辞めており、現在はカラオケ喫茶店を経営している好々爺であった。名前と経歴のモデルは佐藤道郎。 三宅 武 (みやけ たけし) 谷木工業高校-京浜アスレチックス(19??年1位) 通算24勝を挙げたエースだったが、肩を痛めて引退しており、その後は球団職員として残り、マスコットのチック君の中に入っていた。現在36歳(公式上、実際は享年34)。怪我によく利く秘湯がある温泉街出身で、実家は居酒屋を経営している。実は2年前に膵臓がんでこの世を去っており、この事をアスレチックスコーチ・選手内で知っているのは現チック君の中の人物と、たまたま三宅の実家に訪れ真相を知ってしまったウェイクだけである。若い頃は暴れん坊として知られていたらしいが、現在のチック君の慕われぶりを見ると、チームメイトには信頼を置かれている人物だったと思われる。
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